蟹の握り飯を奪った猿はとうとう蟹に仇を取られた。蟹は臼、蜂、卵と共に、怨敵の猿を殺したのである。――その話はいまさらしないでも好い。ただ猿を仕止めた後、蟹を始め同志のものはどう云う運命に逢着したか、それを話すことは必要であ・・・ 芥川竜之介 「猿蟹合戦」
・・・三人はここで握り飯の弁当を開いた。 十「のろい足だなあ」と二、三度省作から小言が出て、午後の二時ごろ三人はようやく御蛇が池へついた。飽き飽きするほど日のながいこの頃、物考えなどしてどうかすると午前か午後かを忘れる事・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・その前に、彼は、いまごろどこをほってもみみずの見つからないことを知っていましたから、飯粒を餌にして釣る考えで、自分の食べる握り飯をその分に大きく造って持ってゆきました。 小川は、みんな雪にうずまっていました。また池にもいっぱい雪が積もっ・・・ 小川未明 「北の国のはなし」
・・・ 国亡びて栄えたのは闇屋と婦人だが、闇屋にも老訓導のような哀れなのがあり、握り飯一つで春をひさぐ女もいるという。やはり栄えた筆頭は芸者に止めをさすのかと呟いた途端に、私は今宮の十銭芸者の話を聯想したが、同時にその話を教えてくれた「ダイス・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ 井伏さんも、少し元気を取り戻したようで、握り飯など召し上りながら、原稿用紙の裏にこまかい字でくしゃくしゃと書く。私はそれを一字一字、別な原稿用紙に清書する。「ここは、どう書いたらいいものかな。」 井伏さんはときどき筆をやすめて・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・テントの中で昼食の握り飯をくいながら、この測夫の体験談を聞いた。いちばん恐ろしかったのは奄美大島の中の無人の離れ島で台風に襲われたときであった。真夜中に荒波が岸をはい上がってテントの直前数メートルの所まで押し寄せたときは、もうひと波でさらわ・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・ 握り飯と柿の種の交換といったような事がらでも毎日われわれの行なっていることである。月謝を払って学校へ行くのでも、保険にはいるのでもそうである。お寺へ金を納めて後生を願うのでもそうであり、泥棒の親分が子分を遊ばせて食わせているのでもそう・・・ 寺田寅彦 「さるかに合戦と桃太郎」
・・・六日夜十一時頃、基ちゃんが門で張番をして居ると相生署の生きのこりの巡査が来、被服廠跡の三千の焼死体のとりかたづけのために、三十六時間勤務十二時間休息、一日に一つの玄米の握り飯、で働せられて居る由。いやでもそれをしなければ一つの握り飯も貰えな・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・ そのひとは、握り飯を出した。重吉とひろ子は弁当箱をあけ、鰯のやいたのを三人でわけて板テーブルの上で食事をはじめた。まだ湯をわかす設備もなかった。 そして、食べているところへ、一人新聞記者が入って来た。その記者は重吉とうち合わせてあ・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・その人を加えて三人の男たちが、行進の身仕度で、握り飯をもってでかけた。二人は八王子市のメーデーに行くのであった。 残念なことに、体の工合がよくなくて私は行進に加わることはできない。けれども、時刻を見はからって、東京駅の横から日本橋へでる・・・ 宮本百合子 「メーデーに歌う」
出典:青空文庫