・・・生命がけで、描いて文部省の展覧会で、平つくばって、可いか、洋服の膝を膨らまして膝行ってな、いい図じゃないぜ、審査所のお玄関で頓首再拝と仕った奴を、紙鉄砲で、ポンと撥ねられて、ぎゃふんとまいった。それでさえ怒り得ないで、悄々と杖に縋って背負っ・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・ちょっと其処へ掛けて、会釈で済ますつもりだったが、古畳で暑くるしい、せめてのおもてなしと、竹のずんど切の花活を持って、庭へ出直すと台所の前あたり、井戸があって、撥釣瓶の、釣瓶が、虚空へ飛んで猿のように撥ねていた。傍に青芒が一叢生茂り、桔梗の・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・更紗の掻巻を撥ねて、毛布をかけた敷布団の上に胡座を掻いたのは主の新造で、年は三十前後、キリリとした目鼻立ちの、どこかイナセには出来ていても、真青な色をして、少し腫みのある顔を悲しそうに蹙めながら、そっと腰の周囲をさすっているところは男前も何・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・救助網に撥ね飛ばされて危うく助かった豹一が、誰に貰ったのか、キャラメルを手に持ち、ひとびとにとりかこまれて、わあわあ泣いているところを見た近所の若い者が、「あッ、あれは毛利のちんぴらや」 と、自転車を走らせて急を知らせてくれ、お君が・・・ 織田作之助 「雨」
・・・種吉は、娘の頼みを撥ねつけるというわけではないが、別れる気の先方へ行って下手に顔見られたら、どんな目で見られるかも知れぬと断った。「下手に未練もたんと別れた方が身のためやぜ」などとそれが親の言う言葉かと、蝶子は興奮の余り口喧嘩までし、その足・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・たかが熊本君ごときに、酒を飲む人の話は、信用できませんからね、と憫笑を以て言われても、私には、すぐに撥ね返す言葉が無い。冷水摩擦を毎日やっていると言ってみたところで、それがこの場合、どうなるというものでもない。つまらない事を口走ったものであ・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・ 鍬は音を立てないように、しかしめまぐるしく、まだ固まり切らない墓土を撥ね返した。 安岡の空な眼はこれを見ていた。彼はいつの間にか陸から切り離された、流氷の上にいるように感じた。 深谷は何をするのだろう? そんなにセコチャンと親・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・メリケン粉の袋のようなズボンの一方が、九十度だけ前方へ撥ね上った。その足の先にあった、木魚頭がグラッと揺れると、そこに一人分だけの棒を引き抜いた後のような穴が出来た。「同志! 突破しろ……」 少年が鋭く叫んだ。と同時に彼の足は小荷物・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・ 鍋の中で、ビチビチ撥ね疲れた鰌だった。 白くなった眼に何が見えるか! ――どこだ、ここは?―― 何だって、コレラ病患者は、こんなことが知りたかったんだろう。 私は、同じ乗組の、同じ水夫としての、友達甲斐から、彼に、いや・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・と、善吉は撥ね起きて障子を開けようとして、「またお梅にでもめッけられちゃア外見が悪いな」と、障子の破隙からしばらく覗いて、にッこりしながらまた夜具の中に潜り込んだ。 上草履の音はしばらくすると聞えなくなッた。善吉は耳を澄ました。「や・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
出典:青空文庫