・・・更に、政府は、用紙割当事務庁をつくり、その長官が用紙割当事務に対して独占の権力をもつようにしようとしている。もちろんこの場合にも文化材である用紙割当の公正と民主性がいわれているが、主務大臣の野溝はいちはやく利害関係のある地方新聞に対して、い・・・ 宮本百合子 「三年たった今日」
・・・「法王庁の抜穴」を書き終ったところであったジイドは、この宗教的格闘では目覚ましい粘着力を示した。坊主とクロオデルとが彼を妥協へ脅迫する原因となっている自身の性的経験を自ら公然と語ることによって、彼等を沈黙させた。「コリドン」と「一粒の麦若し・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・だが十七世紀の法王庁はこの真理を語ったかどでガリレオ・ガリレーを重罪に問うた。ガリレーは以後そのことについては語らないと裁判で答えたが、彼はひそやかにつぶやいた、「しかしそれは動く」と。そしてそれはそのとおりなのだ。徒らに言論を抑圧するとい・・・ 宮本百合子 「地球はまわる」
・・・ 言論・出版の自由は、世界の公約であるけれども、日本には用紙割当事務庁というところが新設されて、主務大臣の野溝は、もう地方新聞に紙はいまにいくらでもまわしてやると失言した。人民の公器であるラジオの民主化がいわれているうちに、政府は全く官・・・ 宮本百合子 「便乗の図絵」
・・・官庁などの月給は、今日の下駄一足、足袋一足に近い金額のまま据置かれた。特別の技能を持たず、収入の途を図れない人々が落ちて行くところは闇商売であり、賭博である。 戦時中、あんなに「愛国心」に愬え「非常時の国民的良心」に愬え「新兵器としての・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・ その友人は岡本保三と言って、後に内務省の役人になり、樺太庁の長官のすぐ下の役などをやった。明治三十九年の三月に中学を卒業して、初めて東京に出てくる時にも一緒の汽車であった。中央大学の予備科に一、二か月席を置いたのも一緒であった。それが・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫