・・・ことは、誰でも習いさえすれば覺えることであり、一とわたりは言葉で云い現わすことの出来るような理窟の筋道の通ったことばかりであったが、亀さんの鳥や魚の世界に関する知識は全く直観的なものであって、とうてい教わることの出来ない種類のものであった。・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・D君は現在教育制度の欠陥を論じて、日本人は小学から大学までただ満員電車にぶら下がる術を教わるばかりだと云った。E君は、国民の哲学的宗教的背景が欠けている事を痛論した。 X君とZ君だけは自分の大浴場説に賛成した。しかし浴場に附属した礼拝堂・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
・・・もっともだれに教わるのでもなく全くの独習で、ただ教則本のようなものを相手にして、ともかくも音を出すまねをしていたに過ぎなかった。適当な教師があれば教わりたかったが、そういう方面に少しの縁故ももたなかったし、またあったにしてもめったな人からは・・・ 寺田寅彦 「二十四年前」
・・・ 英語やドイツ語とだんだんに教わるうちに、しばしば日本語とよく似た音をもった同義の語に出会う事がある。これは偶然であろうとは思っても、そのことごとくが偶然の暗合であるという事を証明する事もかなりにむつかしそうに思われた。 自分のまだ・・・ 寺田寅彦 「比較言語学における統計的研究法の可能性について」
・・・地理学書でもまた物語でも読んで知っていたアトリオ・デル・カヴルロとかソマムとか、こういう名前も何となく嬉しく、また地質学者から教わる色々の岩石の名前も珍しかったと見えてよく覚えている。紺碧のナポリの湾から山腹を逆様に撫で上げる風は小豆大の砂・・・ 寺田寅彦 「二つの正月」
・・・ 読者諸君も、中学へあがられると、たぶん教わると思うが、ナショナルリーダーの三に「マンキィ、ブリッジ」という課がある。手の長い猿共が山から山へ、森から森へ遊びあるいて、ある豁川にくると、何十匹の猿が手をつないで樹の枝からブラ下り、だんだ・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・「狐なんぞに神が物を教わるとは一体何たることだ。えい。」 樺の木はもうすっかり恐くなってぷりぷりぷりぷりゆれました。土神は歯をきしきし噛みながら高く腕を組んでそこらをあるきまわりました。その影はまっ黒に草に落ち草も恐れて顫えたのです・・・ 宮沢賢治 「土神ときつね」
・・・これだけでも、わたしらの教わることは話のほかです。 私は失業中で切ない暮しですが、傍聴にはこれから出来るだけ度々来ようと決心しました。私を失業させたのはこのブルジョア社会です。私はそれとどんなに闘うかというやりかたを少しでも、闘士たちの・・・ 宮本百合子 「共産党公判を傍聴して」
・・・しかし間もなくケーテがその職人から教わることは種切れとなった。父シュミットは十七歳の娘をベルリンまで絵の勉強に旅立たせた。ベルリンには兄息子が勉強に出ていたのであった。 ケーテがベルリンで師事した教師はシャウフェルというスイス人で、この・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・ 五年生になってから、私共は教育心理学を教わることになった。そして、先生の人格的の影響は、愈々大きく成った。 一週二時間の教育の時間を、私は如何那に待ち、楽しんだろう。私にとって学問らしい学問は、千葉先生の時間ほかなかった。僅か一時・・・ 宮本百合子 「弟子の心」
出典:青空文庫