・・・ そこで、欄干を掻い擦った、この楽器に別れて、散策の畦を行く。 と蘆の中に池……というが、やがて十坪ばかりの窪地がある。汐が上げて来た時ばかり、水を湛えて、真水には干て了う。池の周囲はおどろおどろと蘆の葉が大童で、真中所、河童の皿に・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・一日予は渠とともに、小石川なる植物園に散策しつ。五月五日躑躅の花盛んなりし。渠とともに手を携え、芳草の間を出つ、入りつ、園内の公園なる池を繞りて、咲き揃いたる藤を見つ。 歩を転じてかしこなる躑躅の丘に上らんとて、池に添いつつ歩めるとき、・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・ ちょうど日曜で、久しぶりの郊外散策、足固めかたがた新宿から歩行いて、十二社あたりまで行こうという途中、この新開に住んでいる給水工場の重役人に知合があって立寄ったのであった。 これから、名を由之助という小山判事は、埃も立たない秋の空・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・或る時一緒に散策して某々知人を番町に尋ねた帰るさに靖国神社近くで夕景となったから、何処かで夕飯を喰おうというと、この近辺には喰うような家がないといって容易に承知しない。それから馬場を通り抜け、九段を下りて神保町をブラブラし、時刻は最う八時を・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・二 昨日も今日も秋の日はよく晴れて、げに小春の天気、仕事するにも、散策を試みるにも、また書を読むにも申し分ない気候である。ウォーズウォルスのいわゆる『一年の熱去り、気は水のごとくに澄み、天は鏡のごとくに磨かれ、光と陰とい・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・時か九時半かという頃までには、もう一家の生活を支えるための仕事は終えてしまって、それから後はおちついた寛やかな気分で、読書や研究に従事し、あるいは訪客に接して談論したり、午後の倦んだ時分には、そこらを散策したりしたものであった。 川添い・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・かくては、襖の蔭で縫いものをしている家の者に迄あなどられる結果になるやも知れぬという、けち臭い打算から、私は友人を屋外に誘い出し、とにもかくにも散策を試み、それでもやはり私の旗色は呆れる程に悪く、やりきれず、遂には、その井の頭公園の池のほと・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・ 或日試みた千葉街道の散策に、わたくしは偶然この水の流れに出会ってから、生来好奇の癖はまたしてもその行衛とその沿岸の風景とを究めずにはいられないような心持にならせた。 流は千葉街道からしきりと東南の方へ迂回して、両岸とも貧しげな人家・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・わたくしは行先の当てもなく漫然散策していた途上であった。二君はこの日午前より劇場に在って演劇の稽古の思いの外早く終ったところから、相携えてこの店に立寄られたのだと云う。店の主人は既にわたくしとは相識の間である。偶然の会合に興を得て店頭の言談・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・雨の降りそうな日には川筋の眺めのかすみわたる面白さに、散策の興はかえって盛になる。 清洲橋という鉄橋が中洲から深川清住町の岸へとかけられたのは、たしか昭和三年の春であろう。この橋には今だに乗合自動車の外、電車も通らず、人通りもまたさして・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
出典:青空文庫