・・・ 僕は彼が傍若無人にこう言ったことを覚えている、それは二人とも数え年にすれば、二十五になった冬のことだった。…… 二 僕等は金の工面をしてはカッフェやお茶屋へ出入した。彼は僕よりも三割がた雄の特性を具えてい・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
一 埃 僕の記憶の始まりは数え年の四つの時のことである。と言ってもたいした記憶ではない。ただ広さんという大工が一人、梯子か何かに乗ったまま玄能で天井を叩いている、天井からはぱっぱっと埃が出る――そんな光景を・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・ 晩のお菜に、煮たわ、喰ったわ、その数三万三千三百さるほどに爺の因果が孫に報って、渾名を小烏の三之助、数え年十三の大柄な童でござる。 掻垂れ眉を上と下、大きな口で莞爾した。「姉様、己の号外だよ。今朝、号外に腹が痛んだで、稲葉丸さ・・・ 泉鏡花 「海異記」
火遁巻 千曲川に河童が棲んでいた昔の話である。 この河童の尻が、数え年二百歳か三百歳という未だうら若い青さに痩せていた頃、嘘八百と出鱈目仙人で狐狸かためた新手村では、信州にかくれもなき怪しげな年中行事が行われ、毎年大晦日の夜・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
・・・ この時が僕も桂も数え年の十四歳。桂は一度西国立志編の美味を知って以後は、何度この書を読んだかしれない、ほとんど暗誦するほど熟読したらしい、そして今日といえどもつねにこれを座右に置いている。 げに桂正作は活きた西国立志編といってよか・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・日本ならば明治十二年卯歳の生れで数え年四十三になる訳である。生れた場所は南ドイツでドナウの流れに沿うた小都市ウルムである。今のドイツで一番高いゴチックの寺塔のあるという外には格別世界に誇るべき何物をも有たないらしいこの市名は偶然にこの科学者・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
明治十四年の夏、当時名古屋鎮台につとめていた父に連れられて知多郡の海岸の大野とかいうところへ「塩湯治」に行った。そのとき数え年の四歳であったはずだから、ほとんど何事も記憶らしい記憶は残っていないのであるが、しかし自分の幼時・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・当時既に肺結核を患っていた野呂は「警察における処遇に抗しかねて僅か二ヶ月に足らずして品川署で最後の呼吸をひきとった。数え年三十五歳であった。」 当時私の友達が偶然野呂さんのいた警察の留置場に入れられていた。そのひとは看護婦の心得があった・・・ 宮本百合子 「信義について」
・・・ 私は私が数え年で七つの年、今は居ませんけれ共叔父に連れられて始めて――ほんとに生れて始めて人の家や、汽車やらを下に見下す道灌山のわきの草原に行った時の恐怖と物珍らしさの入れ混った、自分でどうして好いか分らなかった混乱した気持を、呆んや・・・ 宮本百合子 「小さい子供」
出典:青空文庫