・・・これから、一時間、文士になろうかどうか思い迷ってみることにする。失礼。おからだ気をつけて。こんどの日曜日に行く。うちから林檎が来ているが、取りに来て下さい。清水忠治。叔父上様。」 月日。「謹啓。文学の道あせる事無用と確信致し居る・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・紋服の初老の大男は、文士。それよりずっと若いロイド眼鏡、縞ズボンの好男子は、編集者。「あいつも、」と文士は言う。「女が好きだったらしいな。お前も、そろそろ年貢のおさめ時じゃねえのか。やつれたぜ。」「全部、やめるつもりでいるんです。」・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・そして文士の出入する珈琲店に行く。 そこへ行けば、精神上の修養を心掛けていると云う評を受ける。こう云う評は損にはならない。そこには最新の出来事を知っていて、それを伝播させる新聞記者が大勢来るから、噂評判の源にいるようなものである。その噂・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ たとえば文士渡辺篤君の家庭の夜の風景を表現するとして、そうしてねずみが騒いだり赤ん坊が泣いたり子供が強硬におしっこを要求したりして肝心の仕事ができぬという事件の推移を表現するにしても、何もあれほどまでに概念的、説明的、型録的に一から十・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・それをひねくり廻している矢先へ通りかかったのが保険会社社長で葬儀社長で動物愛護会長で頭が禿げて口髯が黒くて某文士に似ている池田庸平事大矢市次郎君である。それが団十郎の孫にあたるタイピストをつれて散歩しているところを不意に写真機を向けて撮る真・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・読んでみると、先ず最初に自分の経歴を述べ、永年新聞社の探訪係を勤めていたということを書いたあとで、小説家や戯曲家はみんなどこかから種を盗んで来てそれを元にして自分の原稿をこしらえるのだが、自分は知名の文士の誰々の種の出所をちゃんと知っている・・・ 寺田寅彦 「随筆難」
・・・画家文士の如き芸術に従事する人たちが明治の末頃から、祖国の花鳥草木に対して著しく無関心になって来たことを、むしろ不思議となしている。文士が雅号を用いることを好まなくなったのもまた明治大正の交から始った事である。偶然の現象であるのかも知れない・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・彼というは堂々たる現代文士の一人、但し人の知らない別号を珍々先生という半可通である。かくして先生は現代の生存競争に負けないため、現代の人たちのする事は善悪無差別に一通りは心得ていようと努めた。その代り、そうするには何処か人知れぬ心の隠家を求・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・故ニ花候ニ当テハ輪蹄陸続トシテ文士雅流俗子婦女ノ別ナク麕集シ蟻列シ、繽紛狼藉人ヲシテ大ニ厭ハシムルニ至ル。シカシテ風雨一過香雲地ニ委ヌレバ十里ノ長堤寂トシテ人ナキナリ。知ラズ我ガ上ノ勝ハ桜花ニ非ズシテ実ニ緑陰幽草ノ侯ニアルヲ。モシソレ薫風南・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・輓近の文士往々にしてしかり。これ直諛なるのみ。余のはなはだ取らざるところなり。これをもって来たり請う者あるごとにおおむねみな辞して応ぜず。今徳富君の業を誦むに及んで感歎措くことあたわず。破格の一言をなさざるを得ず。すなわちこれを書し、もって・・・ 中江兆民 「将来の日本」
出典:青空文庫