・・・床には海中文殊の軸が懸っている。焚き残した線香が暗い方でいまだに臭っている。広い寺だから森閑として、人気がない。黒い天井に差す丸行灯の丸い影が、仰向く途端に生きてるように見えた。 立膝をしたまま、左の手で座蒲団を捲って、右を差し込んで見・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・実は普賢でございます。それから寺の西の方に、寒巌という石窟があって、そこに寒山と申すものがおります。実は文殊でございます。さようならお暇をいたします」こう言ってしまって、ついと出て行った。 こういう因縁があるので、閭は天台の国清寺をさし・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
・・・最も窮したのは、寒山が文殊で拾得は普賢だと言ったために、文殊だの普賢だののことを問われ、それをどうかこうか答えるとまたその文殊が寒山で、普賢が拾得だというのがわからぬと言われたときである。私はとうとう宮崎虎之助さんのことを話した。宮崎さんは・・・ 森鴎外 「寒山拾得縁起」
出典:青空文庫