・・・ 私は、その三十歳の初夏、はじめて本気に、文筆生活を志願した。思えば、晩い志願であった。私は下宿の、何一つ道具らしい物の無い四畳半の部屋で、懸命に書いた。下宿の夕飯がお櫃に残れば、それでこっそり握りめしを作って置いて深夜の仕事の空腹に備・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・ とおたずねすると、かの文筆の士なるものは、十万の読者に千度読まれとうござる、と答えてきょろりとしていらっしゃる。おやりなさい、大いにおやりなさい。あなたには見込みがあります。荷風の猿真似だって何だってかまやしませんよ。もともと、このオリジ・・・ 太宰治 「渡り鳥」
・・・ 末広君の家は旧宇和島藩の士族で、父の名は重恭、鉄腸と号し、明治初年の志士であり政客であり同時に文筆をもって世に知られた人である。恭二君はその次男で、兄は重雄、法学博士で現に京都大学教授である。恭二君は明治十年十月二十四日東京で生れ、芝・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・才を呵して直ちに章をなす彼の文筆が、絵の具皿に浸ると同時に、たちまち堅くなって、穂先の運行がねっとり竦んでしまったのかと思うと、余は微笑を禁じ得ないのである。虚子が来てこの幅を見た時、正岡の絵は旨いじゃありませんかと云ったことがある。余はそ・・・ 夏目漱石 「子規の画」
・・・日本のなかに、客観的な真実、学問上の真理、生活の現実を否定して、日本民族の優秀性と、侵略的大東亜主義を宣伝する文筆だけが許される段階に入りつつあった。ジャーナリストたちは、規準のわからない発禁つづきに閉口して、内務省の係の人に執筆を希望しな・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第五巻)」
・・・の理解の問題がひそめられているし、各作家の特質についての具体的観察の問題があり、創造活動のうちに包括される啓蒙のための文筆活動の評価の問題もある。『戦旗』が一九二九年ごろ、片岡鉄兵の「アジ太・プロ吉世界漫遊記」をのせて大好評であった。一・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・ 彼方では一般が商取引風になっているように、やはり文筆を執りつつあるものの間にも、それがあります。作品として出来上がった結果のよしあしは別として、日本などとは丁度反対で、名人気質の人がどうも少ないようです。 この私の見方は丁度、三人・・・ 宮本百合子 「アメリカ文士気質」
・・・そこで、何人かの文筆家が名ざされて、雑誌その他に執筆させないようにといわれたのであった。 三七年の十二月三十一日の午後、私は、重い風呂敷包みを右手にかかえて、尾張町の角から有楽町の駅へむかって歩いていた。すると、いま、名を思い出せないけ・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
・・・戦争は文化を花咲かせるものでないから、文筆生活者として生活の不安もつのった。それからの脱出として、既成の作家たちは、まじめに自分の人および芸術家としてのよりどころを、なにか新らしい力づよい情熱の上に発見しようとし、戦争をその契機としてつかも・・・ 宮本百合子 「歌声よ、おこれ」
・・・ 鴎外の子供は、皆文筆的に才能がある。於菟さんも只の医学者ではない。このひとの随筆を折々よみ、纏めて杏奴さんの文章をも読み、私はこれらの若い時代の人々が文章のスタイルに於て、父をうけついでいるのみならず、各自の生活の輪が、何かの意味・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
出典:青空文庫