・・・僕等は低い松の生えた砂丘の斜面に腰をおろし、海雀の二三羽飛んでいるのを見ながら、いろいろのことを話し合った。「この砂はこんなに冷たいだろう。けれどもずっと手を入れて見給え。」 僕は彼の言葉の通り、弘法麦の枯れ枯れになった砂の中へ片手・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・が、この平地が次第に緩い斜面をつくって、高粱と高粱との間を流れている、幅の狭い濁り川が、行方に明く開けた時、運命は二三本の川楊の木になって、もう落ちかかった葉を低い梢に集めながら、厳しく川のふちに立っていた。そうして、何小二の馬がその間を通・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・のやら、みかげ石のまばゆいばかりに日に反射したのやら、赤みを帯びたインク壺のような形のやら、直八面体の角ばったのやら、ゆがんだ球のようなまるいのやら、立体の数をつくしたような石が、雑然と狭い渓谷の急な斜面に充たされている。石の洪水。少しおか・・・ 芥川竜之介 「槍が岳に登った記」
・・・昆布岳の斜面に小さく集った雲の塊を眼がけて日は沈みかかっていた。草原の上には一本の樹木も生えていなかった。心細いほど真直な一筋道を、彼れと彼れの妻だけが、よろよろと歩く二本の立木のように動いて行った。 二人は言葉を忘れた人のようにいつま・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 靄に蔽われて、丘の斜面に木造の農家が二軒おぼろげに見えた。「ここだ。ここがユフカだな。」 そう思った。が、その実、そこはユフカではなかった。 兵士達は、小屋にパルチザンがかくれていて、不意に捨身の抵抗を受けるかもしれないと・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・河に沿うて、河から段々陸に打ち上げられた土沙で出来ている平地の方へ、家の簇がっている斜面地まで付いている、黄いろい泥の道がある。車の轍で平らされているこの道を、いつも二輪の荷車を曳いて、面白げに走る馬もどこにも見えない。 河に沿うて付い・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ 雨気を帯びた南風が吹いて、浅間の斜面を白雲が幾条ものひもになってはい上がる。それが山腹から噴煙でもしているように見える。峰の茶屋のある峠の上空に近く、巨口を開いた雨竜のような形をしたひと流れのちぎれ雲が、のた打ちながらいつまでも同じ所・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・そういう場合には反響によって昼間はもちろんまっ暗な時でも地面の起伏を知りまた手近な山腹斜面の方向を知る必要がありそうに思われる。鳥は夜盲であり羅針盤をもっていないとすると、暗い谷間を飛行するのは非常に危険である。それにかかわらずいつも充分な・・・ 寺田寅彦 「疑問と空想」
・・・その岩塊の頭を包むヴェールのように灰砂の斜面がなめらかにすそを引いてその上に細かく刺繍をおいたように、オンタデや虎杖やみね柳やいろいろの矮草が散点している。 一合目の鳥居の近くに一等水準点がある。深さ一メートルの四角なコンクリートの柱の・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・球がそれて土手の斜面に落ちると罰金だそうである。 河畔の蘆の中でしきりに葭切が鳴いている。草原には矮小な夾竹桃がただ一輪真赤に咲いている。綺麗に刈りならした芝生の中に立って正に打出されようとする白い球を凝視していると芝生全体が自分をのせ・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
出典:青空文庫