・・・ 少将は容易に断念した。が、また葉巻の煙を吐きながら、静かにこう話を続けた。「お前は、――と云うよりもお前の年輩のものは、閣下をどう思っているね?」「別にどうも思ってはいません。まあ、偉い軍人でしょう。」 青年は老いた父の眼・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・が、鍛冶町へも来ないうちにとうとう読書だけは断念した。この中でも本を読もうと云うのは奇蹟を行うのと同じことである。奇蹟は彼の職業ではない。美しい円光を頂いた昔の西洋の聖者なるものの、――いや、彼の隣りにいるカトリック教の宣教師は目前に奇蹟を・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・ 十 断念めかねて、祖母が何か二ツ三ツ口を利くと、挙句の果が、「老耄婆め、帰れ。」 と言って、ゴトンと閉めた。 祖母が、ト目を擦った帰途。本を持った織次の手は、氷のように冷めたかった。そこで、小さな懐・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ ちょっとなまって、甘えるような口ぶりが、なお、きっぱりと断念がよく聞えた。いやが上に、それも可哀で、その、いじらしさ。「帯にも、袖にも、どこにも、居ないかね。」 再び巨榎の翠の蔭に透通る、寂しく澄んだ姿を視た。 水にも、満・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・私もこう申してはお恥かしゅうございますが、昔からこうばかりでもございません、それもこれも皆なり行だと断念めましても、断念められませんのはお米の身の上。 二三日顔を見せませんから案じられます、逢いとうはございます、辛抱がし切れませんでちょ・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ 宗吉はそう断念めて、洋傘の雫を切って、軽く黒の外套の脇に挟みながら、薄い皮の手袋をスッと手首へ扱いて、割合に透いて見える、なぜか、硝子囲の温室のような気のする、雨気と人の香の、むっと籠った待合の裡へ、コツコツと――やはり泥になった――・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ 吾はどのみち助からないと、初手ッから断念めてるが、お貞、お前の望が叶うて、後で天下晴に楽まれるのは、吾はどうしても断念められない。 謂うと何だか、女々しいようだが、報のない罪をし遂げて、あとで楽をしようという、虫の可いことは決して・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・いッそ、吉弥を妾にして、女優問題などは断念してしまおうかと思って見た。 そうだ、そうだ。今の僕には女優問題などは二の町のことで、もう、とっくに、僕というものは吉弥の胸に融けてしまっているのではないか? 決心を見せろとか、何とか、口では吉・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・また、この外曾祖父が或る日の茶話に、馬琴は初め儒者を志したが、当時儒学の宗たる柴野栗山に到底及ばざるを知って儒者を断念して戯作の群に投じたのであると語ったのを小耳に挟んで青年の私に咄した老婦人があった。だが、馬琴が少時栗山に学んだという事は・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・児供に虐め殺された乎、犬殺しの手に掛ったか、どの道モウいないものと断念めにゃならない」と、自分の児供を喪くした時でもこれほど落胆すまいと思うほどに弱り込んでいた。家庭の不幸でもあるなら悔みの言葉のいいようもあるが、犬では何と言って慰めて宜い・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
出典:青空文庫