・・・ 私は左に、私の忘れ得ぬ事実だけを、断片的に記そうと思う。断片と断片の間をつなごうとして、あの思想家たちは、嘘の白々しい説明に憂身をやつしているが、俗物どもには、あの間隙を埋めている悪質の虚偽の説明がまた、こたえられずうれしいらしく、俗・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・ われより若きものへ自信つけさせたく、走り書。断片の語なれども、私は、狂っていません。 社会制裁の目茶目茶は医師のはんらんと、小市民の医師の良心に対する盲目的信仰より起った。たしかに重大の一因である。ヴェルレエヌ氏の施療病院に於・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・と言うも、これは、遁走の一方便にすぎないのであって、作家たる男が、毎月、毎月、このような断片の言葉を吐き、吐きためているというのは、ほめるべきことでない。「言い得て、妙である。」「かれは、勉強している。」「なるほど、くるしんでい・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
・・・けれども、先日、私は、作家の書簡集、日記、断片をすべてくだらないと言ってしまった。いまでも、そう思っている。よし、とゆるした私の書簡は私の手で発表する。以下、二通。 保田君。 ぼくもまた、二十代なのだ。舌焼け、胸焦げ、空高き雁の声を・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・彼の会話の断片を基にしたジャーナリストの評論や、またそれの下手な受売りにどれだけの信用が措けるかは疑問である。ただ煙の上がる処に火があるというあまりあてにならない非科学的法則を頼みにして、少しばかりの材料をここに紹介する。 彼の人間に対・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・微細な断片が想像の力で補充されて頭の中には色々な大きな色彩の模様が現われて来た。 普通の白地に黒インキで印刷した文字もあった。大概やっと一字、せいぜいで二字くらいしか読めない。それを拾って読んでみると例えば「一同」「円」などはいいが「盪・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
・・・を通過して平たくひしゃげた綿の断片には種子の皮の色素が薄紫の線条となってほのかに付着していたと思う。 こうして種子を除いた綿を集めて綿打ちを業とするものの家に送り、そこで糸車にかけるように仕上げしてもらう。この綿打ち作業は一度も見たこと・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・もしこの漆黒の髪がなかったら浮世絵の顔の線などは無意味な線の断片の集合に堕落してしまって画面全体に対する存在理由の希薄なものになってしまいそうである。 頭髪の輪郭をなしているいろいろの曲線がまた非常に重要な役目をしている。歌麿以前の名家・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・もしS先生の御遺族なりあるいは親しかった人達を尋ねて聞いて歩いたら、あるいはその断片でも回収する望みがないでもないかと思われる。 こんな風に、先生の御遺族や、また御弟子達の思いも付かない方面に隠れ埋もれた資料が存外沢山あるかもしれない、・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・自分はただ断片的なる感想を断片的に記述する事を以て足れりとせねばならぬ。 われわれ過渡期の芸術家が一度びこの霊廟の内部に進入って感ずるのは、玉垣の外なる明治時代の乱雑と玉垣の内なる秩序の世界の相違である。先ず案内の僧侶に導かれるまま、手・・・ 永井荷風 「霊廟」
出典:青空文庫