・・・ その後にようやく景気が立ちなおってからも、一流の大家を除く外、ほとんど衣食に窮せざるものはない有様で、近江新報その他の地方新聞の続き物を同人の腕こきが、先を争うてほとんど奪い合いの形で書いた。否な独り同人ばかりでなく、先生の紹介によっ・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・二十年前に、私が家を飛び出し、この東京に出て来て、「やまと新報」の配達をして居りました時、あなたの長篇小説「鶴」が、その新聞に連載せられていて、私は毎朝の配達をすませてから、新聞社の車夫の溜りで、文字どおり「むさぼり食う」ように読みました。・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・北奥新報社整理部、辻田吉太郎。アザミの花をお好きな太宰君。」「太宰先生。一大事。きょう学校からのかえりみち、本屋へ立ち寄り、一時間くらい立読していたが、心細いことになっているのだよ。講談倶楽部の新年附録、全国長者番附を見たが、僕の家も、・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・二六新報の計画した娼妓自由廃業の運動はこの時既に世人の話柄となっていたが、遊里の風俗はなお依然として変る所のなかった事は、『註文帳』の中に現れ来る人物や事件によっても窺い知ることが出来る。『註文帳』は廓外の寮に住んでいる娼家の娘が剃刀の・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・新女大学終左の一篇の記事は、女大学評論並に新女大学を時事新報に掲載中、福沢先生の親しく物語られたる次第を、本年四月十四日の新報に記したるものなり。本著発表の由縁を知るに足るべきを以て茲に附記することゝせり。 ・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ 去年この紀行が『二六新報』に出た時は炎天の候であって、余は病牀にあって病気と暑さとの夾み撃ちに遇うてただ煩悶を極めて居る時であったが、毎日この紀行を読む事は楽しみの一つであった。あるいは山を踰え谿に沿いあるいは吹き通しの涼しき酒亭に御・・・ 正岡子規 「徒歩旅行を読む」
・・・「ええ新報に出て居りました。サンムトリというのはあれですか。」 二番目にえらい判事が向うの青く光る三角な山を指しました。「うん。そうさ。僕の計算によると、どうしても近いうちに噴き出さないといかんのだがな。何せ、サンムトリの底の瓦・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・きょうは米子に往かんと、かねて心がまえしたりしが、偶々信濃新報を見しに、処々の水害にかえり路の安からぬこと、かずかず書きしるしたれば、最早京に還るべき期も迫りたるに、ここに停まること久しきにすぎて、思いかけず期に遅るることなどあらんも計られ・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫