・・・われわれが新橋の停車場を別れの場所、出発の場所として描写するのも、また僅々四、五年間の事であろう。 今では日吉町にプランタンが出来たし、尾張町の角にはカフェエ・ギンザが出来かかっている。また若い文学者間には有名なメイゾン・コオノスが小網・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・その頃市中 わたくしは三カ月ほど外へ出たことがなかったので、人力車から新橋の停車場に降り立った時、人から病人だと思われはせぬかと、その事がむやみに気まりがわるく、汽車に乗込んでからも、帽子を眉深にかぶり顔を窗の方へ外向けて、ろくろく父と・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・「もう一遍」と、西宮は繰り返し、「もう、そんな間はないんだよ」「えッ。いつ故郷へ立発んですッて」と、吉里は膝を進めて西宮を見つめた。「新橋の、明日の夜汽車で」と、西宮は言いにくそうである。「えッ、明日の……」と、吉里の顔色は・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・「これか、新橋ステーションの洋食というのは。とにかく日本も開らけたものだネー。爰処へこんな三階作りが出来て洋食を食わせるなんていうのは。ヤア品川湾がすっかり見えるネー、なるほどあれが築港の工事をやっているのか。実に勇ましいヨ。どしどし遣・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・どこで飲んだ、どこで飲んだもねえものだ、おれが飲む処は新橋か柳橋、二重橋から和田倉橋、オットそいつはからくりだよ、何、今夜はね柳橋でね小紫をあいかたで飲みましたよ。オヤ小紫ですってそれなら柳橋じゃない吉原でしょう。ナーニ柳橋にも小紫というお・・・ 正岡子規 「煩悶」
・・・ 暫くどっちに行こうと相談した結果、先に、山崎の側を――そちらに夜店が出ていたから――京橋詰まで行き、戻りに新橋まで帰ることになった。 私共は、快活な散歩者らしい様子で気軽に十字路を横切った。そして、鋪道に溢れるような人出に紛れ込も・・・ 宮本百合子 「粗末な花束」
・・・ 同じその四十年代の明治に子供であった私達は、同じその田端田圃の畦道を、三四郎がとこうとして悩んだ悩みもなく、「きいてき一声、新橋を、はやわが汽車ははなれたり」と声はりあげて歌いながら歩いた。余りながく崖の上で汽車を見ていて、この田圃に・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・ 新橋へ著いた日の事であった。出迎をした親類や心安い人の中には、邸まで附いて来たのもあって、五条家ではそう云う人達に、一寸した肴で酒を出した。それが済んだ跡で、子爵と秀麿との間に、こんな対話があった。 子爵は袴を着けて据わって、刻煙・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・ この津藤セニョオルは新橋山城町の酒屋の主人であった。その居る処から山城河岸の檀那と呼ばれ、また単に河岸の檀那とも呼ばれた。姓は源、氏は細木、定紋は柊であるが、店の暖簾には一文字の下に三角の鱗形を染めさせるので、一鱗堂と号し、書を作ると・・・ 森鴎外 「細木香以」
・・・ふと気づいて時計を見ると、自分が乗ることにきめていた新橋発の汽車の時間がだいぶ迫っている。で、いよいよ別れることにして立ち上がろうとした。その時またちょっとした話の行きがかりでなお十分ほど尻を落ち付けて話し込むような事になった。それでも玄関・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
出典:青空文庫