・・・万源の向側なる芸者家新道の曲角に煙草屋がある。主人は近辺の差配で金も貸しているという。わたしの家をよく知っているから、五円や拾円貸さないことはあるまい。しかし何と言って借りたらいいものだろう。 すると唖々子は暫く黙考していたが、「友達が・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・長屋の人たちはこの処を大久保長屋、また湯灌場大久保と呼び、路地の中のやや広い道を、馬の背新道と呼んでいた。道の中央が高く、家に接した両側が低くなっていた事から、馬の背に譬えたので。歩き馴れぬものはきまって足駄の横鼻緒を切ってしまった。維新前・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・ 肌寒や馬のいなゝく屋根の上 かろうじて一足の草鞋求め心いさましく軽井沢峠にかかりて 朝霧や馬いばひあふつゞら折 馬は新道を行き我は近道を登る。小鳥に踏み落されて阪道にこぼれたる団栗のふつふつと蹄に砕かれ杖にころがさ・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・「なるほどこりゃ御城山に登る新道だナ。男も女も馬鹿に沢山上って行くがありゃどういうわけぞナ。」「あれは皆新年官民懇親会に行くのヨ。」「それじゃあしも行って見よう。」「おい君も上るのか。上るなら羽織袴なんどじゃだめだヨ。この内で著物を借り・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・五 収穫の後始末もあらかた付いて、農民がいったいに暇になると、かねがね噂のあった或る新道の開拓が、いよいよ実行されることになった。 町の附近にあるK温泉へ、今までは危い坂道で俥も通れなかったのを、今度その反対の側の森を切・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・ 飯坂に関して ○あの新道は、明治三十七年の戦争の始まるときに着手した。その年は饑饉だったので、貧民救済事業として行われたので、県庁の保助があった。女から子供まで。 人員 二三百人 ダイナマイトのきかない岩は・・・ 宮本百合子 「「禰宜様宮田」創作メモ」
・・・一里ばかり離れた郡山の町から一直線の新道がつくられて、そのポクポク道をやって来たものはおのずから村を南北に貫通している大通りへぶつかり、その道を真っ直ぐ突切ると爪先上りの道は同じ幅で松の植込みのある、いくらか昔話の龍宮に似た三層楼の村役場の・・・ 宮本百合子 「村の三代」
出典:青空文庫