・・・――紳士淑女の方々に高い声では申兼ねるが、猪はこのあたりの方言で、……お察しに任せたい。 唄で覚えた。薬師山から湯宿を見れば、ししが髪結て身をやつす。 いや……と言ったばかりで、外に見当は付かない。……私はその時は前夜着・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・これに続ける六畳は、店と奥との中の間にて、土地の方言茶の室と呼べり。その茶の間の一方に長火鉢を据えて、背に竹細工の茶棚を控え、九谷焼、赤絵の茶碗、吸子など、体裁よく置きならべつ。うつむけにしたる二個の湯呑は、夫婦別々の好みにて、対にあらず。・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・ さては随筆に飛騨、信州などの山近な片田舎に、宿を借る旅人が、病もなく一晩の内に息の根が止る事がしばしば有る、それは方言飛縁魔と称え、蝙蝠に似た嘴の尖った異形なものが、長襦袢を着て扱帯を纏い、旅人の目には妖艶な女と見えて、寝ているものの・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・私の生れた大阪の方言でいえばおんべこちゃ、そう思って私はむしろおかしかった。あんまりおかしくて、涙が出て、折角縁談にありついたという気持がいっぺんに流されて、ざまあ見ろ。はしたない言葉まで思わず口ずさんで、悲しかった。浮々した気持なぞありよ・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・ハンザキというのは山椒魚の方言のようなものでありまして、半分に引き裂かれてもなお生きているほど生活力が強いという意味があるのではなかろうかと思いますが、そのハンザキ大明神としてまつられてある山椒魚も、おそろしく強く荒々しいものであったそうで・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・会津の国の方言なのかも知れないが、どうも私には気味わるく思われた。私は、しっかり飲んだ。どうも話題が無い。槍の名人の子孫に対して私は極度に用心し、かじかんでしまったのである。「あのお写真は、」部屋の長押に、四十歳くらいの背広を着た紳士の・・・ 太宰治 「佳日」
・・・から切支丹屋敷に出掛けて行き、奉行たちと共に、シロオテの携えて来た法衣や貨幣や刀やその他の品物を検査し、また、長崎からシロオテに附き添うて来た通事たちを招き寄せて、たとえばいま、長崎のひとをして陸奥の方言を聞かせたとしても、十に七八は通じる・・・ 太宰治 「地球図」
・・・という言葉使いには、多少、方言が加味されているような気がする。お百姓の言葉だ。うるめの灰を打たたきながら「此筋は銀も見知らず不自由さよ」と、ちょっと自嘲を含めた愚痴をもらしてみたところではなかろうか。「此筋」というのは、「此道筋と云わんが如・・・ 太宰治 「天狗」
・・・りけり、漁業をして世を渡るどちに、夜半に小舟浮かべて、あるは釣りをたれ、あるいは網を打ちて幸多かるも、このも海上を行き過ぐればたちまちに魚騒ぎ走りて、時を移すともその夜はまた幸なかりけり、高知ほとりの方言に、ものの破談になりたる事をジャンに・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・という意味の方言なのである。すると家々ではかねて玄関かその次の間に用意してある糯米やうるちやあずきや切り餅を少量ずつめいめいの持っている袋に入れてやる。みんなありがとうともなんとも言わずにそれをもらって次の家へと回って行くのである。 平・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫