・・・岩――の士族屋敷もこの日はそのために多少の談話と笑声とを増し、日常さびしい杉の杜付近までが何となく平時と異っていた。 お花は叔父のために『君が代』を唱うことに定まり、源造は叔父さんが先生になるというので学校に行ってもこの二、三日は鼻が高・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・故に余輩は彼を知るに於て、彼の日記を通して彼の過去を知るは勿論、馬島に於ける彼が日常をも推測せざる可らず。 記者は彼を指して不幸なる男よというのみ、その他を言うに忍びず、彼もまた自己を憐れみて、ややもすれば曰く、ああ不幸なる男よと。・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・われわれの日常乗るバスの女車掌でさえも有閑婦人の持たない活々した、頭と手足の働きからこなされて出た、弾力と美しさをもっている。働かない婦人はだんだんと頭と心の動きと美しさとにおいて退歩しつつあるように見える。女優や、音楽家や、画家、小説家の・・・ 倉田百三 「婦人と職業」
・・・事実、自分の日常生活を支配しているものは、やっぱり陳い陳い普通道徳にほかならない。自分の過去現在の行為を振りかえって見ると、一歩もその外に出てはいない。それでもって、決して普通道徳が最好最上のものだとは信じ得ない。ある部分は道理だとも思うが・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・歩いていても、何ひとつ、これという目的は無いのでございますが、けれども、みなさん、その日常が侘びしいから、何やら、ひそかな期待を抱懐していらして、そうして、すまして夜の新宿を歩いてみるのでございます。いくら、新宿の街を行きつ戻りつ歩いてみて・・・ 太宰治 「愛と美について」
「その作家の日常の生活が、そのまま作品にもあらわれて居ります。ごまかそうたって、それは出来ません。生活以上の作品は書けません。ふやけた生活をしていて、いい作品を書こうたって、それは無理です。 どうやら『文人』の仲間入り出・・・ 太宰治 「或る忠告」
・・・としての生立ちや、日常生活や、環境は多くの人の知りたいと思うところであろう。 それで私は有り合せの手近な材料から知り得られるだけの事をここに書き並べて、この学者の面影を朧気にでも紹介してみたいと思うのである。主な材料はモスコフスキーの著・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・これは無責任ないし悪意あるゴシップによって日常行われている現象である。 それでこの書物の内容も結局はモスコフスキーのアインシュタイン観であって、それを私が伝えるのだから、更に一層アインシュタインから遠くなってしまう、甚だ心細い訳である。・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・希臘羅馬以降泰西の文学は如何ほど熾であったにしても、いまだ一人として我が俳諧師其角、一茶の如くに、放屁や小便や野糞までも詩化するほどの大胆を敢てするものはなかったようである。日常の会話にも下がかった事を軽い可笑味として取扱い得るのは日本文明・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・されば日常の道徳も不知不識の間に儒教に依って指導せられることが少くない。 儒教は政治と道徳とを説くに止って、人間死後のことには言及んでいない。儒教はそれ故宗教の域に到達していないものかも知れない。しかしこの問題については、わたくしは確乎・・・ 永井荷風 「西瓜」
出典:青空文庫