・・・それは日本語によってのみ表現し得る美であり、大きくいえば日本人の人生観、世界観の特色を示しているともいえる。日本人の物の見方考え方の特色は、現実の中に無限を掴むにあるのである。しかし我々は単に俳句の如きものの美を誇とするに安んずることなく、・・・ 西田幾多郎 「国語の自在性」
・・・ところが日本の文壇には、その哲学者が甚だすくないのである。日本人は昔から「言あげせぬ国民」であり、思考したり哲学したりすることを好まない。日本の詩人は、芭蕉、西行等の古から、大正昭和の現代に至るまで、皆一つの極つた範疇を持つて居る。その範疇・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・然らばすなわち今の日本人民にして今の政府あるは、瓜の蔓に瓜の実のりたるのみ。怪しむに足らざるなり。 ここに明鏡あらん。美人を写せば美人を反射し、阿多福を写せば阿多福を反射せん。その醜美は鏡によりて生ずるに非ず、実物の持前なり。人民もし反・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・中巻は最早日本人を離れて、西洋文を取って来た。つまり西洋文を輸入しようという考えからで、先ずドストエフスキー、ガンチャロフ等を学び、主にドストエフスキーの書方に傾いた。それから下巻になると、矢張り多少はそれ等の人々の影響もあるが、一番多く真・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・離筵となると最早唐人ではなくて、日本人の書生が友達を送る処に変った。剣舞を出しても見たが句にならぬ。とかくする内に「海楼に別れを惜む月夜かな」と出来た。これにしようと、きめても見た。しかし落ちつかぬ。平凡といえば平凡だ。海楼が利かぬと思えば・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・それで日本人ならば、ちょうど花見とか月見とか言う処を、蛙どもは雲見をやります。「どうも実に立派だね。だんだんペネタ形になるね。」「うん。うすい金色だね。永遠の生命を思わせるね。」「実に僕たちの理想だね。」 雲のみねはだんだん・・・ 宮沢賢治 「蛙のゴム靴」
・・・ だからものを考える、というといつでも何かむずかしい題がつくようなことを、いかめしく考えなければならないように思って少し世馴れて来ると、考えるということを面倒くさがるのが、わたしたち、特に日本人の癖です。考えたってはじまらない。よくそう・・・ 宮本百合子 「朝の話」
・・・「いいえ。日本人です。L'Institut Pasteur で為事をしている学生ですが、先生の所へ呼ばれたということを花子に聞いて、望んで通訳をしに来たのです。」「よろしい。一しょに這入らせて下さい。」 興行師は承知して出て行っ・・・ 森鴎外 「花子」
・・・二十一歳で博士になり、少佐の資格で、齢上の沢山な下僚を呼び捨てに手足のごとく使い、日本人として最高の栄誉を受けようとしている青年の挙動は、栖方を見遁して他に例のあったためしはない。それなら、これからゆく先の長い年月、栖方は今あるよりもただ下・・・ 横光利一 「微笑」
・・・もちろん、日本人のすべてがそれを信じていたというのではない。当時の宗教としては、禅宗や浄土真宗や日蓮宗などが最も有力であった。しかし日本の民衆のなかに、苦しむ神、死んで蘇る神というごとき観念を理解し得る能力のあったことは、疑うべくもない。そ・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫