・・・俺も継母が来てから十何年にもなるけれど、俺は三月といっしょに暮したことがないもんだから、俺は俺の継母ほどいい継母というものは日本じゅうどこ捜したってあるまいと思ってたんだがね、今度ですっかり継母の味というものが解っちゃった」 耕吉は酒で・・・ 葛西善蔵 「贋物」
ある午後「高いとこの眺めは、アアッ(と咳また格段でごわすな」 片手に洋傘、片手に扇子と日本手拭を持っている。頭が奇麗に禿げていて、カンカン帽子を冠っているのが、まるで栓をはめたように見える。――そんな老・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・ 二十年ぶりの故郷の様子は随分変わっていた。日本全国、どこの城下も町は新しく変わり、士族小路は古く変わるのが例であるが岩――もその通りで、町の方は新しい建物もでき、きらびやかな店もできて万、何となく今の世のさまにともなっているが、士族屋・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・一般に科学というものを知らなかった上古の人間も学としての形態の充分ととのっていない支那や日本の諸子百家の教えも、また文字なき田夫野人の世渡りの法にも倫理的関心と探究と実践とはある。しかし現代に生を享けて、しかも学徒としての境遇におかれたイン・・・ 倉田百三 「学生と教養」
田舎から東京をみるという題をつけたが本当をいうと、田舎に長く住んでいると東京のことは殆ど分らない。日本から外国へ行くと却て日本の姿がよく分るとは多くの海外へ行った人々の繰返すところであるし、私もちょっとばかり日本からはなれ・・・ 黒島伝治 「田舎から東京を見る」
・・・虚談ではないらしい。日本でも時飛んでもないことをする者があって、先年西の方の某国で或る貴い塋域を犯した事件というのが伝えられた。聞くさえ忌わしいことだが、掘出し物という語は無論こういう事に本づいて出来た語だから、いやしくも普通人的感情を有し・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・ 伊能忠敬は、五十歳から当時三十余歳の高橋作左衛門の門にはいって測量の学をおさめ、七十歳をこえて、日本全国の測量地図を完成した。趙州和尚は、六十歳から参禅・修業をはじめ、二十年をへてようやく大悟・徹底し、以後四十年間、衆生を化度した。釈・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・然し何が恐ろしいたって、この日本の国をひッくり返そうとする位おそろしいものがないんだ」と云った。 矢張り東京へ出してやったのが悪かった、と母親は思った。何時でも眼やにの出る片方の眼は、何日も何日も寝ないために赤くたゞれて、何んでもなくて・・・ 小林多喜二 「争われない事実」
・・・飛騨境の方にある日本アルプスの連山にはまだ遠く白雪を望んだが、高瀬は一つ場処に長く立ってその眺望を楽もうともしなかった。不思議な寂寞は蛙の鳴く谷底の方から匍い上って来た。恐しく成って、逃げるように高瀬は妻子の方へ引返して行った。「父・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・んどん方々から火が上り、夕方六時近くには全市で六十か所の火が、おのおの何千という家々をなめて、のびひろがり、夜の十二時までの間にはすべてで八十八か所の火の手が、一つになって、とうとう本所、深川、浅草、日本橋、京橋の全部と、麹町、神田、下谷の・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
出典:青空文庫