・・・――甚太夫はそう思うと、日頃沈着な彼にも似合わず、すぐさま恩地の屋敷へ踏みこんで、勝負を決したいような心もちさえした。 しかし恩地小左衛門は、山陰に名だたる剣客であった。それだけにまた彼の手足となる門弟の数も多かった。甚太夫はそこで惴り・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・その時、何気なく、ひょいと向うを見ると、常夜燈のぼんやりした明りで、観音様の御顔が見えました。日頃拝みなれた、端厳微妙の御顔でございますが、それを見ると、不思議にもまた耳もとで、『その男の云う事を聞くがよい。』と、誰だか云うような気がしたそ・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・いや、耳を借さない所か、彼はその権妻と云う言が大嫌いで、日頃から私をつかまえては、『何しろいくら開化したと云った所で、まだ日本では妾と云うものが公然と幅を利かせているのだから。』と、よく哂ってはいたものなのです。ですから帰朝後二三年の間、彼・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ お婆様はやがてきっとなって私を前にすえてこう仰有いました。日頃はやさしいお婆様でしたが、その時の言葉には私は身も心もすくんでしまいました。少しの間でも自分一人が助かりたいと思った私は、心の中をそこら中から針でつかれるようでした。私は泣・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・「旦那、お前さん手合は余り虫が宜過ぎまさあ。日頃は虫あつかいに、碌々食うものも食わせ無えで置いて、そんならって虫の様に立廻れば矢張り人間だと仰しゃる。己れっちらの境涯では、四辻に突っ立って、警部が来ると手を挙げたり、娘が通ると尻を横目で・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・ 小一に仮装したのは、この山の麓に、井菊屋の畠の畑つくりの老僕と日頃懇意な、一人棲の堂守であった。大正十四年三月 泉鏡花 「怨霊借用」
・・・何も小児でござります。日頃が日頃で、ついぞ世話を焼かした事の無い、評判の児でござりまするから、今日の処は、源助、あの児になりかわりまして御訴訟。はい、気が小さいかいたして、口も利けずに、とぼんとして、可哀や、病気にでもなりそうに見えまするが・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ そういたしますとね、日頃お出入の大八百屋の亭主で佐助と申しまして、平生は奉公人大勢に荷を担がせて廻らせて、自分は帳場に坐っていて四ツ谷切って手広く行っておりまするのが、わざわざお邸へ出て参りまして、奥様に勧めました。さあこれが旦那様、・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ それにしてもYを心から悔悛めさせて、切めては世間並の真人間にしなければ沼南の高誼に対して済まぬから、年長者の義務としても門生でも何でもなくても日頃親しく出入する由縁から十分訓誡して目を覚まさしてやろうと思い、一つはYを四角四面の謹厳一・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・よく、こうした例は、屡々青年時代にあったことで、丸善の店頭などで、日頃名をきいている欧米の作家や、批判家の最新の著書を見出すと、これを読めば、明日からでも、自分の見識が変るような気がして、それでなくてさえ、何をか常に追うている時代であったら・・・ 小川未明 「書を愛して書を持たず」
出典:青空文庫