・・・ 早稲田における坪内君の功蹟は、左も右くも文壇に早稲田派なるものがあって、相応に文学に貢献もすれば勢力も持ってる一事が明白に証明しておる。これ以上一語を加うる必要がない。早稲田大学は本と高田、天野、坪内のトライアンビレートを以て成立した・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・たとえば君が住まわれた渋谷の道玄坂の近傍、目黒の行人坂、また君と僕と散歩したことの多い早稲田の鬼子母神あたりの町、新宿、白金…… また武蔵野の味を知るにはその野から富士山、秩父山脈国府台等を眺めた考えのみでなく、またその中央に包まれてい・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・明治四十一年一月の「早稲田文学」に現れた、花袋の代表作の一つであろう。日露戦争の遼陽攻撃の前に於ける兵站部あたりの後方のことを取材している。戦地へいった一人の兵卒が病気のため、遼陽攻撃が始って全軍が花々しく進撃するうちに、一人だけ苦しみなが・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・ 井伏さんは、所謂「早稲田界隈」をきらいだと言っていらしたのを、私は聞いている。あのにおいから脱けなければダメだ、とも言っていらした。 けれども、井伏さんほど、そのにおいに哀しい愛着をお持ちになっていらっしゃる方を私は知らない。学生・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・京都府立京都第一中学校を昨年卒業し、来年、三高文丙か、早稲田か、大阪薬専かへ行くつもりです。小説家になるつもりで、必死の勉強しています。先生、どうか私を弟子にして下さい。それには、どんな手続きが必要でしょうか。偉大なる霊魂はただ偉大なる霊魂・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ 西片町にしばらくいて、それから早稲田南町へ移られても自分は相変わらず頻繁に先生を訪問した。木曜日が面会日ときまってからも、何かと理屈をつけては他の週日にもおしかけて行ってお邪魔をした。 自分の洋行の留守中に先生は修善寺であの大患に・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・紙で包んだ花鉢をだいじにぶら下げて車にも乗らず早稲田まで持って行った。あのころからもうだいぶ悪くなっていた自分の胃はその日は特に固く突っ張るようで苦しかった。あとから考えてみるとあの時分から自分の胃はもう少しずつ出血を始めていたのである。そ・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
・・・ 慶応が勝つと銀座が荒らされ、早稲田が勝つと新宿が脅かされるという話も彼を考え込ませた。当時彼の読みかけていたウェルズのモダンユートピアに出てくるいわゆる「サムライ」はこういうスポーツには手をつけないことになっているが、それはこの著者の・・・ 寺田寅彦 「野球時代」
・・・あの夕日の沈むところは早稲田の森であろうか。本郷の岡であろうか。自分の身は今如何に遠く、東洋のカルチェエ・ラタンから離れているであろう。盲人は一曲終ってすぐさま、「更けて逢ふ夜の気苦労は――」と歌いつづける。 自分はいつまでも、いつ・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・僕等三人は春浪さんがまだ早稲田に学んでいた頃から知合っていた間柄なので、挨拶もせずに二階へ上ったことを失礼だとは思っていなかった。就中僕は西洋から帰ってまだ間もない頃のことであったから、女連のある場合、男の友達へは挨拶をせぬのが当然だと思っ・・・ 永井荷風 「申訳」
出典:青空文庫