・・・ 七兵衛――この船頭ばかりは、仕事の了にも早船をここへ繋いで戻りはせぬ。 毎夜、弁天橋へ最後の船を着けると、後へ引返してかの石碑の前を漕いで、蓬莱橋まで行ってその岸の松の木に纜っておいて上るのが例で、風雨の烈しい晩、休む時はさし措き・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・お前も知ってるだろう、早船の斎藤よ、あの人にはお前も一度ぐらい逢った事があろう、お互いに何もかも知れきってる間だから、誠に苦なしだ。この月初めから話があっての、向うで言うにゃの、おとよさんの事はよく知ってる、ただおとよさんが得心して来てくれ・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・追われて逃げる者にはとくに早船を仕立てたことはもちろんである。 やがてそんな登勢を見こんで、この男を匿ってくれと、薩摩屋敷から頼まれたのは坂本龍馬だった。伊助は有馬の時の騒ぎで畳といわず壁といわず、柱といわず、そこらじゅう血まみれになっ・・・ 織田作之助 「螢」
・・・不動様のお三日という午過ぎなぞ参詣戻りの人々が筑波根、繭玉、成田山の提灯、泥細工の住吉踊の人形なぞ、さまざまな玩具を手にさげたその中には根下りの銀杏返しや印半纏の頭なども交っていて、幾艘の早舟は櫓の音を揃え、碇泊した荷舟の間をば声を掛け合い・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・多面的な日常生活の困難ととりくみながら、家庭の主婦であり、小さい子供の母である早船ちよが、「峠」「二十枠」「糸の流れ」「季節の声」「公僕」など、次々に力作を発表しはじめている。早船ちよは、「峠」の抒情的作風からはやい歩調で成長してきて、取材・・・ 宮本百合子 「婦人作家」
出典:青空文庫