・・・その上明暗も相当に面白く出来ているようです。」 子爵は小声でこう云いながら、細い杖の銀の握りで、硝子戸棚の中の絵をさし示した。私は頷いた。雲母のような波を刻んでいる東京湾、いろいろな旗を翻した蒸汽船、往来を歩いて行く西洋の男女の姿、それ・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・もし多少の前借でも出来れば、―― 彼はトンネルからトンネルへはいる車中の明暗を見上げたなり、いかに多少の前借の享楽を与えるかを想像した。あらゆる芸術家の享楽は自己発展の機会である。自己発展の機会を捉えることは人天に恥ずる振舞ではない。こ・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・窓から来るつめたい光をうけて、その顔は二つとも鋭い明暗を作って居ります。そうして、その顔の前にある、黄いろい絹の笠をかけた電燈が、私の眼にはほとんどまっ黒に映りました。しかも、何と云う皮肉でございましょう。彼等は、私がこの奇怪な現象を記録し・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・ もとの道を自分の家の方へ歩んで行くと、暗いところがあったり、明るいところがあったり、ランプのあかりがさしたり、電燈の光が照らしたり――その明暗幽照にまでも道のでこぼこが出来て――ちらつく眼鏡越しの近眼の目さきや、あぶなッかしい足もとか・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・て相手方のために、一円ずつ貯金して、五年後の昭和十五年三月二十一日午後五時五十三分、彼岸の中日の太陽が大阪天王寺西門大鳥居の真西に沈まんとする瞬間、鳥居の下で再会しよう』との誓約書を取りかわし、人生の明暗喜怒哀楽をのせて転々ところぶ人生双六・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・漏斗型に電燈の被いが部屋のなかの明暗を区切っているような窓もあった。 石田はそのなかに一つの窓が、寝台を取り囲んで数人の人が立っている情景を解放しているのに眼が惹かれた。こんな晩に手術でもしているのだろうかと思った。しかしその人達はそれ・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・それがためにかえって画面の明暗の調子を攪乱し減殺し、そうして過度の刺激によって目を疲らせるばかりであるから、現在のところでは芸術的には全く低級な単なるノヴェルティに過ぎないと言わなければならない。 視覚的映画に聴覚的な音響を付加すること・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・たとえばだいじのむすこを毒殺された親父の憂鬱を表現する室内のシーンでもその画面の明暗の構図の美しさはさまにレンブラントを想起させるものがあるが、この場面のいろいろなヴァリエーションが少なくも多くの日本人には少し長すぎるであろうと思われる。し・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・カンバスなどは使わず、黄色いボール紙に自分で膠を引いてそれにビチューメンで下図の明暗を塗り分けてかかるというやり方であった。かなりたくさんかいたが実物写生という事はついにやらずにしまった。そして他郷に遊学すると同時にやめてしまって、今日まで・・・ 寺田寅彦 「自画像」
書物に於ける装幀の趣味は、絵画に於ける額縁や表装と同じく、一つの明白な芸術の「続き」ではないか。彼の画面に対して、あんなにも透視的の奥行きをあたへたり、適度の明暗を反映させたり、よつて以てそれを空間から切りぬき、一つの落付・・・ 萩原朔太郎 「装幀の意義」
出典:青空文庫