・・・立ち話もそんな場所ではできず、前から部屋を頼んでおいた近くの逢坂町にある春風荘という精神道場へ行こうとすると、新聞の写真班が写真を撮るからちょっと待ってくれと言いました。それで、私たちは、秋山さんが私の肩に手を掛け、私は背の高い秋山さんの顔・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・と相手をいたわるような春風駘蕩の口を利いたりした。 けれども、対局場の隣の部屋で聴いていると、両人の「ハア」「ハア」というはげしい息づかいが、まるで真剣勝負のそれのような凄さを時に伝えて来て、天龍寺の僧侶たちはあっと息をのんだという。そ・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・ しゅうど 美わしき菫の種と、やさしき野菊の種と、この二つの一つを石多く水少なく風勁く土焦げたる地にまき、その一つを春風ふき霞たなびき若水流れ鳥啼き蒼空のはて地に垂るる野にまきぬ。一つは枯れて土となり、一つは若葉・・・ 国木田独歩 「詩想」
・・・これを一読するに、温乎として春風のごとく、これを再読するに、凜乎として秋霜のごとし。ここにおいて、余初めて君また文壇の人たるを知る。 今この夏、またこの書を稿し、来たりて余に詢るに刊行のことをもってす。よってこれに答えて曰く。この文をも・・・ 田口卯吉 「将来の日本」
・・・ ということで、ご自分が、その八寸五分のスマートに他ならぬと固く信じて疑わぬ有様で、まことに春風駘蕩とでも申すべきであって、「僕の顔にだって、欠点はあるんですよ、誰も気がついていないかも知れませんけど。」とさえ言った事などもあり、と・・・ 太宰治 「散華」
・・・机の上には二、三の雑誌、硯箱は能代塗りの黄いろい木地の木目が出ているもの、そしてそこに社の原稿紙らしい紙が春風に吹かれている。 この主人公は名を杉田古城といって言うまでもなく文学者。若いころには、相応に名も出て、二、三の作品はずいぶん喝・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・この狂風が自分で自分の勢力を消し尽くした後に自然になぎ和らいで、人世を住みよくする駘蕩の春風に変わる日の来るのを待つよりほかはないであろう。 それにしても毎日毎夕類型的な新聞記事ばかりを読み、不正確な報道ばかりに眼をさらしていたら、人間・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・私はその時なんという事なしに矛盾不調和を感ずる一方では、またつめたい薄暗い岩室の中にそよそよと一陣の春風が吹き、一道の日光がさし込んだような心持ちもあった事を自白しなければならない。 吹き込みが終わった文学士は額の汗を押しぬぐいながらそ・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・到る処の青山に春風が吹いていた。 アメリカへ船が着く前に二等船客は囚徒のように一人一人呼び出されて先ず瞼を引っくら返されてトラフォームの検査を受けた。そうして金を千ドル以上持っているかを聞かれた。そうして上陸早々ホボケンの税関でこのチュ・・・ 寺田寅彦 「チューインガム」
・・・そうしてモンスーンのないかの地にはほんとうの「春風」「秋風」がなく、またかの地には「野分」がなく「五月雨」がなく「しぐれ」がなく、「柿紅葉」がなく「霜柱」もない。しかし大陸と大洋との気象活動中心の境界線にまたがる日本では、どうかすると一日の・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
出典:青空文庫