・・・彼は、発作が止んで、前よりも一層幽鬱な心が重く頭を圧して来ると、時としてこの怖れが、稲妻のように、己を脅かすのを意識した。そうして、同時にまた、そう云う怖れを抱くことが、既に発狂の予告のような、不吉な不安にさえ、襲われた。「発狂したらどうす・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・貉の唄は時としては、山から聞えた。時としては、海から聞えた。そうしてまた更に時としては、その山と海との間に散在する、苫屋の屋根の上からさえ聞えた。そればかりではない。最後には汐汲みの娘自身さえ、ある夜突然この唄の声に驚かされた。―― 娘・・・ 芥川竜之介 「貉」
・・・しかし先生の眼の中には、それでもなお時として、先生の教授を受ける生徒たちの――恐らくは先生が面しているこの世間全体の――同情を哀願する閃きが、傷ましくも宿っていたではないか。 刹那の間こんな事を考えた自分は、泣いて好いか笑って好いか、わ・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・服従と自己抑制とは時として人間の美徳であるけれども、人生を司配すること、この自由に対する慾望ばかり強くして大なるはない。歴史とは大人物の伝記のみとカーライルの喝破した言にいくぶんなりともその理を認むる者は、かの慾望の偉大なる権威とその壮厳な・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・眼を瞑ったようなつもりで生活というものの中へ深入りしていく気持は、時としてちょうど痒い腫物を自分でメスを執って切開するような快感を伴うこともあった。また時として登りかけた坂から、腰に縄をつけられて後ざまに引き下されるようにも思われた。そうし・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・なるほど、時としてはつむじ曲りだと世間に言われるような事もあったか知れない。千駄木にいられた頃だったか、西園寺さんの文士会に出席を断って、面白い発句を作られたことがある……その句は忘れたが、何でもほととぎすの声は聞けども用を足している身は出・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・ それが皮切で、それから三日目、四日目、時としては続いて毎日来た。来れば必ず朝から晩まで話し込んでいた。が、取留めた格別な咄もそれほどの用事もないのにどうしてこう頻繁に来るのか実は解らなかったが、一と月ばかり経ってから漸と用事が解った。・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・其作品の中には急進主義者の姿もあれば、時として保守主義者の姿の現われてくる事もある。然しそれ/″\の主義にはそれ/″\の信念があるもので、作品決してそれを見逃がしてはいない。信念の在るところ、容易にその善悪を定めにくい場合が多い。優れた芸術・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
・・・文壇の大勢に、時としては、反抗したものを書き、それを売らなければ、ならぬということは、すでに其処に矛盾が存していたからです。 少しの貯えもなく、家庭に欠乏を告げているにかゝわらず、机に向って、自分の理想を描こうとする――そこには、精神だ・・・ 小川未明 「貧乏線に終始して」
・・・むしろ私の会うた軍人は一人の例外もないと言っていいくらい物分りが悪く、時としてその物分りの悪さは私を憤死せしめる程であった。 もっともこれは時代のせいかも知れなかった。私が徴兵検査を受けた時は、まだ事変が起っていなかったのである。 ・・・ 織田作之助 「髪」
出典:青空文庫