・・・襟を棄ててから、もう四時間たっている。まさか襟がさきへ帰ってはいまいとは思いながら、少しびくびくものでホテルへ帰った。さも忙しいという風をしてホテルの門を通り掛かった。門番が引き留めた。そしてうやうやしく一つの包みを渡すのである。同じ紙で包・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・大概の教師はいろんな下らない問題を生徒にしかけて時間を空費している。生徒が知らない事を無理に聞いている。本当の疑問のしかけ方は、相手が知っているか、あるいは知り得る事を聞き出す事でなければならない。それで、こういう罪過の行われるところでは大・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・ 時間や何かのことが、三人のあいだに評議された。「とにかく肚がすいた。何か食べようよ」私はこの辺で漁れる鯛のうまさなどを想像しながら言った。 私たちは松の老木が枝を蔓らせている遊園地を、そこここ捜してあるいた。そしてついに大きな・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・「ずッと、家へもどっていい、夜業は三時間につけとくから」 のりバケツとポスターの束をかかえて、外へでるとき、主人にそういわれると、二人はていねいにおじぎしている。「オーイ」 古藤の下宿の下を通るとき、三吉はどなってみたが返事・・・ 徳永直 「白い道」
・・・それを越して霞ヶ関、日比谷、丸の内を見晴す景色と、芝公園の森に対して品川湾の一部と、また眼の下なる汐留の堀割から引続いて、お浜御殿の深い木立と城門の白壁を望む景色とは、季節や時間の工合によっては、随分見飽きないほどに美しい事がある。 遠・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・然し全治までには長い時間を要すると医師は診断した。告訴を受ければ太十は監獄署の門をくぐらねばならぬと思って居る。彼はどれ程警察署や監獄署に恐怖の念を懐いたろう。彼はそれからげっそり窶れて唯とぼとぼとした。事件は内済にするには彼の負担としては・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・婆さんは例の朗読調をもって「千八百四十四年十月十二日有名なる詩人テニソンが初めてカーライルを訪問した時彼ら両人はこの竈の前に対坐して互に煙草を燻らすのみにて二時間の間一言も交えなかったのであります」という。天上に在って音響を厭いたる彼は地下・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・対象認識の立場から出立する人は、自己そのものの存在ということも、時間空間の形式に当嵌めて対象的に考える。心理的自己としては、我々の自己も爾考えることができる。しかしそれは考えられた自己であって、考える自己ではない。何人の自己でもあり得る自己・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・それで彼らのヴィジョンが破れ、悠々たる無限の時間が、非東洋的な現実意識で、俗悪にも不調和に破れてしまった。支那人は馳け廻った。鉄砲や、青竜刀や、朱の総のついた長い槍やが、重吉の周囲を取り囲んだ。「やい。チャンチャン坊主奴!」 重吉は・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・そして手真似で、もう時間だぜ、と云った。 私は慌てた。男が私の話を聞くことの出来る距離へ近づいたら、もう私は彼女の運命に少しでも役に立つような働が出来なくなるであろう。「僕は君の頼みはどんなことでも為よう。君の今一番して欲しいことは・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
出典:青空文庫