・・・が、樗牛の思索は移っていっても、周囲の景物にはさらに変化らしい変化がない。暖かい砂の上には、やはり船が何艘も眠っている。さっきから倦まずにその下を飛んでいるのは、おおかたこの海に多い鴎であろう。と思うとまた、向こうに日を浴びている漁夫の翁も・・・ 芥川竜之介 「樗牛の事」
・・・ 景物なしの地位ぐらいに、句が抜けたほど、嬉しがったうちはいい。 少し心安くなると、蛇の目の陣に恐をなし、山の端の霧に落ちて行く――上じょうろうのような優姿に、野声を放って、「お誓さん、お誓さん。姉さん、姐ご、大姐ご。」 立・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 憑物のある病人に百万遍の景物じゃ、いやもう泣きたくなりまする。はははは、泣くより笑とはこの事で、何に就けてもお客様に御迷惑な。」「なあに、こっちの迷惑より、そういう御様子ではさぞ御当惑をなさるでありましょう、こう遣って、お世話にな・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・毎年の浅草の年の市には暮の餅搗に使用する団扇を軽焼の景物として出したが、この団扇に「景物にふくの団扇を奉る、おまめで年の市のおみやげ」という自作の狂歌を摺込んだ。この狂歌が呼び物となって、誰言うとなく淡島屋の団扇で餅を煽ぐと運が向いて来ると・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・この辺の景物が低い草から高い木まで皆黒く染まっているように見える。そう思って見ている内に、突然自分の影が自分の体を離れて、飛んで出たように、目の前を歩いて行く女が見えて来た。黒い着物を着て、茶色な髪をして白く光る顔をして歩いている。女房はそ・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・そう言えば、長く都会に住んで見るほどのもので、町中に来る夏の親しみを覚えないものはなかろうが、夏はわたしも好きで、種々な景物や情趣がわたしの心を楽しませる上に、暑くても何でも一年のうちで一番よく働ける書入れ時のように思い、これまで殆んど避暑・・・ 島崎藤村 「秋草」
・・・煤けた壁のところには、歳暮の景物に町の商家で出す暦附の板絵が去年のやその前の年のまで、子供の眼を悦ばせるために貼附けて置いてある。「でも、貴方だって、小諸言葉が知らずに口から出るようですよ。人と話をして被入っしゃるところを側から聞いてま・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・此辺の景物が低い草から高い木まで皆黒く染まっているように見える。そう思って見ている内に、突然自分の影が自分の体を離れて、飛んで出たように、目の前を歩いて行く女が見えて来た。黒い着物を着て、茶色な髪をして白く光る顔をして歩いている。女房はその・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ おはぐろ筆というものも近ごろはめったに見られなくなった過去の夢の国の一景物である。白い柔らかい鶏の羽毛を拇指の頭ぐらいの大きさに束ねてそれに細い篠竹の軸をつけたもので、軸の両端にちょっとした漆の輪がかいてあったような気がする。七夕祭り・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・この本のところどころに現われる自然界と人間の交渉、例えば第十九段に四季の景物を列記したのでも、それが『枕草子』とどれだけ似ているとか、ちがうとかいう事はさておいて、その中には多分の俳諧がある。型式的概念的に堕した歌人の和歌などとは自ずからち・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
出典:青空文庫