・・・先には土いきれに凋んだ莟が、花びらを暑熱にねじられながら、かすかに甘いにおいを放っていた。雌蜘蛛はそこまで上りつめると、今度はその莟と枝との間に休みない往来を続けだした。と同時にまっ白な、光沢のある無数の糸が、半ばその素枯れた莟をからんで、・・・ 芥川竜之介 「女」
ことしの正月から山梨県、甲府市のまちはずれに小さい家を借り、少しずつ貧しい仕事をすすめてもう、はや半年すぎてしまった。六月にはいると、盆地特有の猛烈の暑熱が、じりじりやって来て、北国育ちの私は、その仮借なき、地の底から湧き・・・ 太宰治 「美少女」
・・・夏は、六十八年ぶりという暑熱で、温室のように傾斜したガラス屋根の建物を蒸し、焙りこげつかせていたのに。―― ひろ子は思い出にせき上げた。総て、すべてのこういうことを、どうして重吉に話しきれるだろう。重吉が帰って、こうして、ひろ子の息づき・・・ 宮本百合子 「風知草」
出典:青空文庫