・・・ 小暇を得て、修善寺に遊んだ、一――新聞記者は、暮春の雨に、三日ばかり降込められた、宿の出入りも番傘で、ただ垂籠めがちだった本意なさに、日限の帰路を、折から快晴した浦づたい。――「当修善寺から、口野浜、多比の浦、江の浦、獅子浜、馬込崎と・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・雅談の成った年は其序によって按ずれば癸未暮春である。また巻尾につけられた依田学海の跋を見れば明治十九年二月としてある。 香亭雅談には又江戸時代の文人にして不忍池畔に居を卜したものの名を挙げて下の如くに言っている。「古ヨリ都下ノ勝地ヲ言フ・・・ 永井荷風 「上野」
・・・されば始めて逢う他郷の暮春と初夏との風景は、病後の少年に幽愁の詩趣なるものを教えずにはいなかったわけである。 病院は町はずれの小高い岡の中腹に建てられていたので、病室の窓からも寝ながらにして、曇った日にも伊豆の山影を望み、晴れた日には大・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・ そもそも僕が始て都下にカッフェーというもののある事を知ったのは、明治四十三年の暮春洋画家の松山さんが銀座の裏通なる日吉町にカッフェーを創設し、パレット形の招牌を掲げてプランタンという屋号をつけた際であった。僕は開店と言わずして特に創設・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・そのほか春月、春水、暮春などいえる春の題を艶なる方に詠み出でたるは蕪村なり。例えば伽羅くさき人の仮寝や朧月女倶して内裏拝まん朧月薬盗む女やはある朧月河内路や東風吹き送る巫が袖片町にさらさ染るや春の風春水や四条五条・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫