・・・ 暴力 人生は常に複雑である。複雑なる人生を簡単にするものは暴力より外にある筈はない。この故に往往石器時代の脳髄しか持たぬ文明人は論争より殺人を愛するのである。 しかし亦権力も畢竟はパテントを得た暴力である。我我人間・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・むしろ自然の暴力が、いかにもきびきびと残酷に、物を破り人を苦しめた事を痛快に感じた。やがて自分は路傍の人と別れるように、その荒廃の跡を見捨てて去った。水を恐れて連夜眠れなかった自分と、今の平気な自分と、何の為にしかるかを考えもしなかった。・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・平和への手段として、強権を肯定することは、畢竟、暴力の讃美に他ならない。この意味に於て平和への途は、強権を否定して、他の真理に道を見出すことである。所有することに於て、幸福を見出すものと、無欲に帰することによって、幸福の本質を異にするからだ・・・ 小川未明 「自由なる空想」
・・・ 同じ生命を有している人間のすることにくらべて、はかり知れない、暴力の所有者である自然のほうが、どれほど怖ろしいかしれないと木は思っていました。しかし、こうした嶮岨な場所に生じたために、しんぱくは、無事に今日まで日を送ることができたので・・・ 小川未明 「しんぱくの話」
・・・たとえば、失業者及びこれと近い生活をする者をして、日常の必要品たる、家賃を始め、ガス、水道、電気等の料金に至る迄、極めて規則的に強要しつつあるのは、解釈によっては、暴力の行使という他はありません。 さらに、インフレーションにより、当然招・・・ 小川未明 「近頃感じたこと」
・・・ 私達は、この現実に於て、暴力が憚からずに行われていることを知っている。強者は、徒らに弱者を虐げている事実を見あきる程見ている。人間が、人間を奴隷とし、自欲のためには、他の苦艱をも意としない、そのことが人道にもとるにもかゝわらず。不問に・・・ 小川未明 「人間否定か社会肯定か」
・・・ 先日の御手紙には富岡先生と富岡氏との二個の人がこの老人の心中に戦かっておるとのお言葉が有った、実にその通りで拙者も左様思っていた、然るにちょうど御手紙を頂いた時分以来は、所謂る富岡先生の暴力益々つのり、二六時中富岡氏の顔出する時は全く・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・改革の手段に暴力を用いる用いないの点よりも、この人間の特性の貶斥は最も許し難き冒涜である。人間の道徳意識そのものはマルクスによって泥を塗られただけで少しも高められず、退化するのみである。『キリスト教の本質』を書いたフォイエルバッハの人間の共・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・実際それらの教団の中には理論のための理論をもてあそぶソフィスト的学生もあれば、論争が直ちに闘争となるような暴力団体もあり、禅宗のように不立文字を標榜して教学を撥無するものもあれば、念仏の直入を力調して戒行をかえりみないものもあった。 世・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・実人生の、暴力的な真剣さを、興覚めする程に明確に見せつけられたのであります。たかが女、と多少は軽蔑を以て接して来た、あの女房が、こんなにも恐ろしい、無茶なくらいの燃える祈念で生きていたとは、思いも及ばぬ事でした。女性にとって、現世の恋情が、・・・ 太宰治 「女の決闘」
出典:青空文庫