・・・骨組の逞ましい、この女の足袋は、だふついて汚れていた……赤ら顔の片目眇で、その眇の方をト上へ向けて渋のついた薄毛の円髷を斜向に、頤を引曲げるようにして、嫁御が俯向けの島田からはじめて、室内を白目沢山で、虻の飛ぶように、じろじろと飛廻しにみま・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ 呉は、左の腕を捩じ曲げるように、顎の下に、も一方の手で抱き上げ、額にいっぱい小皺をよせてはいってきた。「早や行ってきたのかい?」 腰の傷の疼痛で眠れない田川は、水を飲ましてもらいたいと思いながら声をかけた。「火酒は残ってい・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・彼女はそこに置いてある火鉢から細い真鍮の火箸を取って見て、曲げるつもりもなくそれを弓なりに折り曲げた。「おばあさん――またここのお医者様に怒られるぞい」 と三吉は言って、不思議そうにおげんの顔を見ていたが、やがて子供らしく笑い出した・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・もしや錯覚かと思って注意してはみたが、どうも老人の唄の小節の最初の強いアクセントと同時に頸を曲げる場合が著しく多い事だけは確かであるように思われた。してみると、この歌のリズムがなんらかの関係で、直接か間接か鴉の運動神経に作用しているらしく思・・・ 寺田寅彦 「鴉と唱歌」
・・・唯一の武器とする吻を使おうとするとあまりに窮屈な自分の家はからだを曲げる事を許さない。最後の苦悩にもがくだけの余裕さえもない。生物の間に行なわれる殺戮の中でも、これはおそらく最も残酷なものの一つに相違ない。全く無抵抗な状態において、そして苦・・・ 寺田寅彦 「簔虫と蜘蛛」
・・・この自己を曲げるという事は成功には大切であるが心理的にははなはだ厭なものである。就中最も厭なものはどんな好な道でもある程度以上に強いられてその性質がしだいに嫌悪に変化する時にある。ところが職業とか専門とかいうものは前申す通り自分の需用以上そ・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・大将はからだを曲げるくらい一生けん命に号令をかけました。「気を付けっ」「右いおい。」「なおれっ。」「番号。」実にみんなうまくやります。 楢夫は愕いてそれを見ました。大将が楢夫の前に来て、まっすぐに立って申しました。「演習をこれか・・・ 宮沢賢治 「さるのこしかけ」
・・・賞むる人、賞めない人のあるなしは、私の考を曲げる事は出来ない。 箇人主義――利己主義、それは名の如く、何事に於ても、自己を根本に置て考え、没我的生活に対する主我的の甚だしいものである。 主我! それは、真にたとうべくもあらぬ・・・ 宮本百合子 「大いなるもの」
・・・又、そこまで身を曲げることも出来ないように高く堅いコーセットを胸に巻きつける必要が何処にありましょう。若い、健康な胸は、そのままで美しいのです。恐らく、彼女等の言葉も、私の書くと同じものであると信じます。 故に、少くとも、高等学校以上大・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
出典:青空文庫