・・・「なおまた故人の所持したる書籍は遺骸と共に焼き棄て候えども、万一貴下より御貸与の書籍もその中にまじり居り候節は不悪御赦し下され度候。」 これはその葉書の隅に肉筆で書いてある文句だった。僕はこう云う文句を読み、何冊かの本が焔になって立・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・ 僕は、帰京したら、ひょッとすると再び来ないで済ませるかも知れないと思ったから、持って来た書籍のうち、最も入用があるのだけを取り出して、風呂敷包みの手荷物を拵えた。 遅くなるから、遅くなるからと、たびたび催促はされたが、何だか気が進・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・或人は焼けた書籍の中の特記すべきものを訊いた。或人は丸善の火災が文明に及ぼす影響などゝ云う大問題を提起した。中には又突拍子もない質問を提出したものもあった。曰く、『焼けた本の目録はありますか?』 丸善は如何に機敏でも常から焼けるのを待構・・・ 内田魯庵 「灰燼十万巻」
・・・その外に、修養のための書籍を二、三十冊わざわざ自分で買って来てYの退先きへ届けてくれたそうだ。普通の常識では豪いか馬鹿かちょっと判断が出来ないが、左に右く島田は普通の人間の出来ない事をするよ――」「それにはYも心から感謝して、その話を僕・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・美妙斎や紅葉の書斎のゴタクサ書籍を積重ねた中に変梃な画や翫弄物を列べたと反して、余りに簡単過ぎていた。 風采は私の想像と余りに違わなかった。沈毅な容貌に釣合う錆のある声で、極めて重々しく一語々々を腹の底から搾り出すように話した。口の先き・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・彼は書きかけの原稿やペンやインキなど入れた木通の籠を持ち、尋常二年生の彼の長男は書籍や学校道具を入れた鞄を肩へかけて、袴を穿いていた。幾日も放ったらかしてあった七つになる長女の髪をいゝ加減に束ねてやって、彼は手をひいて、三人は夜の賑かな人通・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・しかしここももうその頃の私にとっては重くるしい場所に過ぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取りの亡霊のように私には見えるのだった。 ある朝――その頃私は甲の友達から乙の友達へというふうに友達の下宿を転々として暮らしていたのだ・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・師及び産婆の注意の一から十まで真っ正直に受けたもうて、それはそれは寝るから起きるから乳を飲ます時間から何やかと用意周到のほど驚くばかりに候、さらに驚くべきは小生が妻のためにとて求め来たりし育児に関する書籍などを妻はまだろくろく見もせぬうちに・・・ 国木田独歩 「初孫」
・・・ 自分は持て来た小説を懐から出して心長閑に読んで居ると、日は暖かに照り空は高く晴れ此処よりは海も見えず、人声も聞えず、汀に転がる波音の穏かに重々しく聞える外は四囲寂然として居るので、何時しか心を全然書籍に取られて了った。 然にふと物音・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・ 暫時すると、甲は書籍を草の上に投げ出して、伸をして、大欠をして、「最早宿へ帰ろうか。」「うん」と応たぎり、乙は見向きもしない。すると甲は巻煙草を出して、「オイ君、燐寸を借せ。」「うん」と出してやる、そして自分も煙草を出・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
出典:青空文庫