・・・ その声がまだ消えない内に、ニスののする戸がそっと明くと、顔色の蒼白い書記の今西が、無気味なほど静にはいって来た。「手紙が参りました。」 黙って頷いた陳の顔には、その上今西に一言も、口を開かせない不機嫌さがあった。今西は冷かに目・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・が、仏法僧のなく音覚束なし、誰に助けらるるともなく、生命生きて、浮世のうらを、古河銅山の書記になって、二年ばかり、子まで出来たが、気の毒にも、山小屋、飯場のパパは、煩ってなくなった。 お妻は石炭屑で黒くなり、枝炭のごとく、煤けた姑獲鳥の・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・る、年紀は取る、手拭は染めねばならず、夜具の皮は買わねばならず、裏は天地で間に合っても、裲襠の色は変えねばならず、茶は切れる、時計は留る、小間物屋は朝から来る、朋輩は落籍のがある、内証では小児が死ぬ、書記の内へ水がつく、幇間がはな会をやる、・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・「今の僕なら、どうせ、役場の書記ぐらいで満足しとるのやもの、徴兵の徴の字を見ても、ぞッとする程の意気地なしやけど、あの時のことを思うたら、不思議に勇気が出たもんや。それも大勢のお立て合う熱に浮されたと云うたら云えんこともなかろう。もう、死ん・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・斜子の羽織の胴裏が絵甲斐機じゃア郡役所の書記か小学校の先生染みていて、待合入りをする旦那の估券に触る。思切って緞子か繻珍に換え給え、」(その頃羽二重はマダ流行というと、「緞子か繻珍?――そりゃア華族様の事ッた、」と頗る不平な顔をして取合わな・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ それを聞いた役場の書記二人はこれまで話に聞いた事もない出来事なので、女房の顔を見て微笑んだ。少し取り乱してはいるが、上流の奥さんらしく見える人が変な事を言うと思ったのである。書記等は多分これはどこかから逃げて来た女気違だろうと思った。・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・おきんの亭主はかつて北浜で羽振りが良くおきんを落籍して死んだ女房の後釜に据えた途端に没落したが、おきんは現在のヤトナ周旋屋、亭主は恥をしのんで北浜の取引所へ書記に雇われて、いわば夫婦共稼ぎで、亭主の没落はおきんのせいだなどと人に後指ささせぬ・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・収入役は、金高を読み上げて、二人の書記に算盤をおかしていた。源作は、算盤が一と仕切りすむまで待っていた。「おい、源作!」 ふと、嗄れた、太い、力のある声がした。聞き覚えのある声だった。それは、助役の傍に来て腰掛けている小川という村会・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・ 三階に上がって行くと、応接間らしいところに、検事が書記を連れてやってきていた。俺はそこで二時間ほど調べられた。警察の調べのおさらいのようなもので、別に大したことはなかった。調べが終った時、「真夏の留置場は苦しいだろう。」 ない・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・「それを聞いて役場の書記二人はこれまで話に聞いた事も無い出来事なので、女房の顔を見て微笑んだ。少し取り乱しているが、上流の奥さんらしく見える人が変な事を言うと思ったのである。書記等は多分これはどこかから逃げて来た女気違だろうと思った。・・・ 太宰治 「女の決闘」
出典:青空文庫