・・・が、沼南の清節は袍弊袴で怒号した田中正造の操守と違ってかなり有福な贅沢な清貧であった。沼南社長時代の毎日新聞社員は貧乏が通り相場である新聞記者中でも殊に抽んでて貧乏であった。毎月の月給が晦日の晩になっても集金人が金を持って帰るまでは支払えな・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ 田口というは昔の家老職、城山の下に立派な屋敷を昔のままに構えて有福に暮らしていましたので、この二階を貸し、私を世話してくれたのは少なからぬ好意であったのです。 ところで驚いたのは、田口に移った日の翌日、朝早く起きて散歩に出ようとす・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・上は大名たちより、下は有福の町人に至るまで、競って高慢税を払おうとした。税率は人が寄ってたかって競り上げた。北野の大茶の湯なんて、馬鹿気たことでもなく、不風流の事でもないか知らぬが、一方から観れば天下を茶の煙りに巻いて、大煽りに煽ったもので・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・今の自分から見るとこれらの画家は実にうらやましい有福な身分だと思う。世の中に何がぜいたくだと言って、このような美しく貴重な自然を勝手自在にわが物同様に使用し時には濫費してもいいという、これほどのぜいたくは少ないと思う。これに匹敵するぜいたく・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・ 平野町の里方は有福なので、おばあ様のおみやげはいつも孫たちに満足を与えていた。それが一昨年太郎兵衛の入牢してからは、とかく孫たちに失望を起こさせるようになった。おばあ様が暮らし向きの用に立つ物をおもに持って来るので、おもちゃやお菓子は・・・ 森鴎外 「最後の一句」
出典:青空文庫