・・・さるにても朝寝のほど、昨日のその講演会の帰途のほども量られる。「お客様でございますよう。」 と女中は思入たっぷりの取次を、ちっとも先方気が着かずで、つい通りの返事をされたもどかしさに、声で威して甲走る。 吃驚して、ひょいと顔を上・・・ 泉鏡花 「縁結び」
・・・ 夜ふかしは何、家業のようだから、その夜はやがて明くるまで、野良猫に注意した。彼奴が後足で立てば届く、低い枝に、預ったからである。 朝寝はしたし、ものに紛れた。午の庭に、隈なき五月の日の光を浴びて、黄金の如く、銀の如く、飛石の上から・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
一「満蔵満蔵、省作省作、そとはまっぴかりだよ。さあさあ起きるだ起きるだ。向こうや隣でや、もう一仕事したころだわ。こん天気のえいのん朝寝していてどうするだい。省作省作、さあさあ」 表座敷の雨戸をがらがらあ・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・髪はめっきり白くなり、すわり胼胝は豆のように堅く、腰は腐ってしまいそうに重かった。朝寝の枕もとに煙草盆を引きよせて、寝そべりながら一服やるような癖もついた。私の姉がそれをやった時分に、私はまだ若くて、年取った人たちの世界というものをのぞいて・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・お三輪が娘時分に朝寝の枕もとへ来て、一声で床を離れなかったら、さっさと蒲団を片付けてしまわれるほど厳しい育て方をされたのも母だ。そういう母が同じ浦和生れの父を助けて小竹の店を持つ前に、しばらく日本橋石町の御隠居さんの家に勤めていた頃は、朝も・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・お参りに出かける外、芝居へも寄席へも一向に行きたがらない。朝寝が好きで、髪を直すに時間を惜しまず、男を相手に卑陋な冗談をいって夜ふかしをするのが好きであるが、その割には世帯持がよく、借金のいい訳がなかなか巧い。年は二十五、六、この社会の女に・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・御前は朝寝坊だ、朝寝坊だからむやみに食うのだと判断されては誰も心服するものはない。枡を持ち出して、反物の尺を取ってやるから、さあ持って来いと号令を下したって誰も号令に応ずるものはありません。寒暖計を眺めて、どうもあの山の高さはよほどあるよと・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・かくして朝寝に耽り学校を牢獄と見る。「自己」を救うために学校を飛び出す。友は騒ぎ母は泣く。保証人はまっかになって怒鳴る。 生命の執着はまた人生に大変調を来たす。恋の怨みに世を去り、悲痛なる反抗心に死する人が世に遺す凄き呪い。一念の凝った・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫