或木曜日の晩、漱石先生の処へ遊びに行っていたら、何かの拍子に赤木桁平が頻に蛇笏を褒めはじめた。当時の僕は十七字などを並べたことのない人間だった。勿論蛇笏の名も知らなかった。が、そう云う偉い人を知らずにいるのは不本意だったか・・・ 芥川竜之介 「飯田蛇笏」
私がまだ赤門を出て間もなく、久米正雄君と一ノ宮へ行った時でした。夏目先生が手紙で「毎木曜日にワルモノグイが来て、何んでも字を書かせて取って行く」という意味のことを云って寄越されたので、その手紙を後に滝田さんに見せると、之は・・・ 芥川竜之介 「夏目先生と滝田さん」
・・・ これは一月の十七日、丁度木曜日の正午近くの事でございます。その日私は学校に居りますと、突然旧友の一人が訪ねて参りましたので、幸い午後からは授業の時間もございませんから、一しょに学校を出て、駿河台下のあるカッフェへ飯を食いに参りました。・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・即ち月曜日には孟子、火曜日には詩経、水曜日には大学、木曜日には文章規範、金曜日には何、土曜日には何というようになって居るので、易いものは学力の低い人達の為、むずかしいものは学力の発達して居るもののためという理窟なのです。それで順番に各自が宛・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・ 西片町にしばらくいて、それから早稲田南町へ移られても自分は相変わらず頻繁に先生を訪問した。木曜日が面会日ときまってからも、何かと理屈をつけては他の週日にもおしかけて行ってお邪魔をした。 自分の洋行の留守中に先生は修善寺であの大患に・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・高等学校を御卒業なさいましても、誰とも交際なさらずに、寂しく暮らしていらっしゃる時の事で、毎週木曜日と日曜日とには、きっとおいでなさいましたのね。あの時はまだお父う様がお亡くなりなすって、お母あ様がお里へお帰りになった当座でございましたのね・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ 二月十七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 上落合より〕 第七信 二月七日の夜からはじまる。木曜日。下弦の月。さむし。 こんばんは。今、女の生活のことについての二十枚近いものを書き終り、タバコを一服というような、しかし心の・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 初めて早稲田南町の漱石山房を訪れたのは、大正二年の十一月ごろ、天気のよい木曜日の午後であったと思う。牛込柳町の電車停留場から、矢来下の方へ通じる広い通りを三、四町行くと、左側に、自動車がはいれるかどうかと思われるくらいの狭い横町があっ・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫