・・・「正念寺様におまいりをして、それから木賃へ行くそうです。いま参りましたのは、あの妓がちょっと……やかたへ連れて行きましたの。」 突当らしいが、横町を、その三人が曲りしなに、小春が行きすがりに、雛妓と囁いて「のちにえ。」と言って別・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・現世の心の苦しみが堪えられませぬで、不断常住、その事ばかり望んではおりますだが、木賃宿の同宿や、堂宮の縁下に共臥りをします、婆々媽々ならいつでも打ちも蹴りもしてくれましょうが、それでは、念が届きませぬ。はて乞食が不心得したために、お生命まで・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・と車夫は提灯の火影に私の風体を見て、「木賃ならついそこにあるが……私が今曲ってきたあの横町をね、曲ってちょっと行くと、山本屋てえのと三州屋てえのと二軒あるよ。こっちから行くと先のが山本屋で、山本屋の方が客種がいいって話だから、そっちへお行で・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・これをやるから木賃へ泊まってくれ。今夜は仲間と通夜をするのだから。」と、もらった銀貨一枚を出した。文公はそれを受け取って、「それじゃア親父さんの顔を一度見せてくれ。」「見ろ。」と言って、弁公はかぶせてあったものをとったが、この時はも・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・力なくなく次の旅店に至れば行燈に木賃と書きたる筆の跡さえ肉痩せて頼み少きに戸を開けば三、四畳の間はむくつけくあやしきおのこ五、六人に塞がれたり。はたと困じ果ててまたはじめの旅亭に還り戸を叩きながら知らぬ旅路に行きくれたる一人旅の悲しさこれよ・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
出典:青空文庫