・・・哲学でも宗教でも、その本尊は知らぬことその末代の末流に至ては悉くそうです。「僕の知人にこう言った人があります。吾とは何ぞやWhat am I ?なんちょう馬鹿な問を発して自から苦ものがあるが到底知れないことは如何にしても知れるもんでない・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ 連句はその末流の廃頽期に当たって当時のプチブルジョア的有閑階級の玩弄物となったために、そういうものとしてしか現代人の目には映らないことになった。しかし本来はそれどころか実に深刻な時代世相の端的描写であり、そうして支配階級よりはより多く・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・謀の功名なれども、これを解きて主家の廃滅したるその廃滅の因縁が、偶ま以て一旧臣の為めに富貴を得せしむるの方便となりたる姿にては、たといその富貴は自から求めずして天外より授けられたるにもせよ、三河武士の末流たる徳川一類の身として考うれば、折角・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・大貴族の婦人達は勿論自分で縫物などはしなかったけれども、貧乏貴族ぐらしの藤原の末流の人達になれば姫といっても自分で縫物をしたし、家中の縫物もさせられるような哀れな状態であった。王朝時代の文化と文学との中に美しい綾や錦を縫いつづけて、その細い・・・ 宮本百合子 「衣服と婦人の生活」
・・・十九世紀に大芸術家、科学者、政治家を輩出させた社会の創造的可能性は、その矛盾の深まるにつれてしだいに萎靡して、二十世紀前半は、ほとんどあらゆる分野においてその解説者、末流、傍系的才能しか発芽させえなかった。十九世紀は、その興隆する資本主義社・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・紫式部はこれだけの天才を持ちながら、歴史の中では藤原氏の一族中の末流の家に生れたことは分っているが、何子といったのか本当の名前は分っていません。紫式部というのは、女官としての宮廷の名です。女流文学の隆盛期と云われた王朝時代、一般の婦人の社会・・・ 宮本百合子 「婦人の創造力」
・・・橋谷は出雲国の人で、尼子の末流である。十四歳のとき忠利に召し出されて、知行百石の側役を勤め、食事の毒味をしていた。忠利は病が重くなってから、橋谷の膝を枕にして寝たこともある。四月二十六日に西岸寺で切腹した。ちょうど腹を切ろうとすると、城の太・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・猶此に末流と云うがごとしだ。新文学士諸家も、これと袂を聯ねて文壇に立っている宙外等の諸家も、「エピゴノイ」たることを免れない。今の文壇は露伴等の時代に比すれば、末流時代の文壇だというのだ。予はこの文の局を結ぶに当って、今の文壇の諸家が地方新・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・ 己は自分の事を末流だと諦めてはいるが、それでも少し侮辱せられたような気がした。そこで会釈をして、その場を退いた。 夕食の時、己がおばさんに、あのエルリングのような男を、冬の七ヶ月間、こんな寂しい家に置くのは、残酷ではないかと云って・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
出典:青空文庫