・・・そうして、そのうちに本家の老舗の日本人がこのアメリカ語に翻訳された「俳諧」の逆輸入をいかなる形式においてしおおせるであろうかを観望するのは、さらにより多く興味の深いことである。 日本映画人がかつてソビエト露国から俳諧的モンタージュの逆輸・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(※[#ローマ数字7、1-13-27])」
・・・ なんでも片方が「本家」で片方が「元祖」だとか言って長い年月を鬩ぎ合った歴史もあったという話を聞いたことがある。関東大震災にはたぶんあのへんも焼けたであろうが、つい先日電車であのへんを通るときに気をつけて見ると昔と同じ場所と思わるる所に・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・この人間の「本家」がまき歩くビラの「ホンケ」は、鼻紙を八つ切りにしたのに粗末な木版で赤く印刷したものであったが、その木版の絵がやはり蝙蝠傘をさして尻端折った薬売りの「ホンケ」の姿を写したものであった。いっしょに印刷してあった文字などは思い出・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・この言葉の意味については本家本元の二人の間にも異論があるそうであって、これについては近ごろの読売新聞紙上で八住利雄氏が紹介されたこともある。 このモンタージュなるものは西洋人にとってはたしかに非常な発見であったに相違ない。そうしてこれに・・・ 寺田寅彦 「ラジオ・モンタージュ」
・・・お絹の家の本家で、お絹たちの母の従姉にあたる女であったが、ほかに身寄りがないので、お京のところで何かの用を達していた。おばあさんは幾年ぶりかで見る道太を懐かしがって、同じ学校友だちで、夭折したその一粒種の子供の写真などを持ってきて、二階に寝・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・しこうして、その理想なるものが、忠とか孝とかいう、一種抽象した概念を直ちに実際として、即ち、この世にあり得るものとして、それを理想とさせた、即ち孔子を本家として、全然その通りにならなくともとにかくそれを目あてとして行くのであります。 な・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・或は男子は分家して一戸の主人となることあるゆえ女子に異なりと言わんかなれども、女子ばかり多く生れたる家にては、其内の一人を家に置き之に壻養子して本家を相続せしめ、其外の姉妹にも同様壻養子して家を分つこと世間に其例甚だ多し。左れば子に対して親・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ ある大きな本家では、いつも旧の八月のはじめに、如来さまのおまつりで分家の子供らをよぶのでしたが、ある年その一人の子が、はしかにかかってやすんでいました。「如来さんの祭りへ行きたい。如来さんの祭りへ行きたい」と、その子は寝ていて、毎・・・ 宮沢賢治 「ざしき童子のはなし」
・・・そして本家本元のソヴェト同盟では厳密に批判され、本屋に本も出ていないようなコロンタイズムが流布することを知って、非常に苦しいような驚いた心持がしたのを今もはっきり覚えている。 コロンタイズムは、全く一九一七年から二三年間の混乱期にふるい・・・ 宮本百合子 「新しい一夫一婦」
・・・はロマンチシズムの本家のような役割をもってイギリスでも、ゲーテのドイツでも鑑賞されたことにふれず、その頃のフランス文化の到達点と比較すれば殆ど未だ近代啓蒙時代にあったロシアやハンガリーなどという土地でだけバルザックが流行っているように書いて・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
出典:青空文庫