・・・と、そこに、新しい手の切れるような札束があった。競争に負けたジャップには鐚一文だって有りゃしないんだろう。――テーブルに向って腰かけたメリケン兵の眼には彼への軽蔑があった。「それゃ、どこの札だね?」 彼は、片方の腕を通しさしで、手を・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・奥の六畳間で勘定して戸棚の引出しにしまったのを、あのひとが土間の椅子席でひとりで酒を飲みながらそれを見ていたらしく、急に立ってつかつかと六畳間にあがって、無言で女房を押しのけ引出しをあけ、その五千円の札束をわしづかみにして二重まわしのポケッ・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・やがて二人の用事はすんだが、私が現金支払いの窓口で手渡された札束は、何の事は無い、たったいま爺さんの入金した札束そのものであったので、なんだかひどく爺さんにすまないような気がした。 そうしてそれを或る人に手渡す時にも、竹内トキさんの保険・・・ 太宰治 「親という二字」
・・・これはマークの札束を鞄に入れて歩いて、街の乞食の小僧が「小父ちゃん一万マークお呉れよパンを買うんだから……」と言ったという一つ話が伝わっているドイツの大恐慌の七、八ヵ月以前の状態とほぼひとしい形を示している。最低二十五倍の物価の昂騰があるわ・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・けれども、昨夜銭湯へ行ったとき、八百円の札束を鞄に入れて、洗い場まで持って這入って笑われた記憶については忘れていた。 農婦は場庭の床几から立ち上ると、彼の傍へよって来た。「馬車はいつ出るのでござんしょうな。悴が死にかかっていますので・・・ 横光利一 「蠅」
出典:青空文庫