姓氏の一。
すぎたげんぱく【杉田玄白】
[1733〜1817]江戸後期の蘭方医。若狭小浜藩医の子として江戸に生まれる。名は翼、字は子鳳、号は鷧斎・九幸。前野良沢らと「ターヘル‐アナトミア」を訳出し「解体新書」として刊行。西洋医学を広く紹介した。著「蘭学事始」など。
すぎたせいけい【杉田成卿】
[1817〜1859]江戸後期の蘭学者。江戸の人。名は信。号は梅里。玄白の孫。坪井信道に学び、のち蕃書調所教授となる。訳著に「医戒」「済生三方」「砲術訓蒙 (くんもう) 」などがあり、蘭文 (らんぶん) に「玉川紀行」がある。
すぎたひさじょ【杉田久女】
[1890〜1946]俳人。鹿児島の生まれ。旧姓赤堀、本名久子。華やかさのある情熱的な句風で知られる。高浜虚子に師事し、「ホトトギス」同人となるが後に除名。
出典:gooニュース
杉田氏、選考で差別言動問われず 参院選公認巡り
自民党が夏の参院選比例代表で公認候補に決めた杉田水脈元衆院議員は9日、自身のアイヌ民族や在日コリアンに対する差別的言動に関し、公認の選考過程で執行部から問われることはなかったと説明した。党大会後、記者団の質問に答えた。「投稿したブログは削除し、謝罪している。終わった問題だ」とも語った。杉田氏の差別的言動は法務局から人権侵犯認定されている。
<近代茨城の肖像>(41)杉田馨子(前編) 戦後初の選挙に立候補
初の女性立候補者となった3人は、杉田馨子(けいこ)(日本自由党、筑波郡葛城(かつらぎ)村=現つくば市)、沼田睦子(日本共産党、多賀郡櫛形(くしがた)村=現日立市)、樋口ヨネ(新日本婦人党、北相馬郡取手町=現取手市)。この中から一体誰が、栄えある史上初の女性衆院議員、いわば「焼け跡から生まれたスター」となったのでしょうか。
自民 杉田水脈前議員を参院選の公認候補と発表 収支報告書不記載も政倫審での弁明なし
自民党は8日、今年夏の参院選の比例代表の公認候補に杉田水脈前衆院議員を擁立すると明らかにしました。杉田氏は、安倍派の裏金問題をめぐり党の役職停止6か月の処分を受けていて、去年の衆院選では比例単独での立候補を辞退していました。杉田氏はこの時、森山幹事長から衆院選ではなく、次の参院選での立候補を勧められたと語っていました。
もっと調べる