・・・その物語に題は通えど、これは東の銭なしが、一年思いたつよしして、参宮を志し、霞とともに立出でて、いそじあまりを三河国、そのから衣、ささおりの、安弁当の鰯の名に、紫はありながら、杜若には似もつかぬ、三等の赤切符。さればお紺の婀娜も見ず、弥次郎・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・池の菰に水まして、いずれが、あやめ杜若、さだかにそれと、よし原に、ほど遠からぬ水神へ……」 扇子をつかって、トントンと向うの段を、天井の巣へ、鳥のようにひらりと行く。 一あめ、さっと聞くおもい、なりも、ふりも、うっちゃった容子の中に・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・まだ葉ばかりの菖蒲杜若が隈々に自然と伸びて、荒れたこの広い境内は、宛然沼の乾いたのに似ていた。 別に門らしいものもない。 此処から中尊寺へ行く道は、参詣の順をよくするために、新たに開いた道だそうで、傾いた茅の屋根にも、路傍の地蔵尊に・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・八橋一面の杜若は、風呂屋へ進上の祝だろう。そんな比羅絵を、のしかかって描いているのが、嬉しくて、面白くって、絵具を解き溜めた大摺鉢へ、鞠子の宿じゃないけれど、薯蕷汁となって溶込むように……学校の帰途にはその軒下へ、いつまでも立って見ていた事・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・出る杭を打たうとしたりや柳かな酒を煮る家の女房ちょとほれた絵団扇のそれも清十郎にお夏かな蚊帳の内に螢放してアヽ楽や杜若べたりと鳶のたれてける薬喰隣の亭主箸持参化さうな傘かす寺の時雨かな 後世一茶の俗語・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫