・・・ 二 左近を打たせた三人の侍は、それからかれこれ二年間、敵兵衛の行く方を探って、五畿内から東海道をほとんど隈なく遍歴した。が、兵衛の消息は、杳として再び聞えなかった。 寛文九年の秋、一行は落ちかかる雁と共に・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・人生は彼には東海道の地図のように明かだった。家康は古千屋の狂乱の中にもいつか人生の彼に教えた、何ごとにも表裏のあるという事実を感じない訣には行かなかった。この推測は今度も七十歳を越した彼の経験に合していた。……「さもあろう。」「あの・・・ 芥川竜之介 「古千屋」
一 レエン・コオト 僕は或知り人の結婚披露式につらなる為に鞄を一つ下げたまま、東海道の或停車場へその奥の避暑地から自動車を飛ばした。自動車の走る道の両がわは大抵松ばかり茂っていた。上り列車に間に合うかどうか・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・ 元来――帰途にこの線をたよって東海道へ大廻りをしようとしたのは、……実は途中で決心が出来たら、武生へ降りて許されない事ながら、そこから虎杖の里に、もとの蔦屋のお米さんを訪ねようという……見る見る積る雪の中に、淡雪の消えるような、あだな・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・ いつかは、何かの新聞で、東海道の何某は雀うちの老手である。並木づたいに御油から赤坂まで行く間に、雀の獲もの約一千を下らないと言うのを見て戦慄した。 空気銃を取って、日曜の朝、ここの露地口に立つ、狩猟服の若い紳士たちは、失礼ながら、・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・停車場前の茶店も馴染と見えて、そこで、私のも一所に荷を預けて、それから出掛けたんですが――これがずッとそれ、昔の東海道、箱根のお関所を成りたけ早めに越して、臼ころばしから向う阪をさがりに、見ると、河原前の橋を掛けてこの三島の両側に、ちらちら・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・晩年大河内子爵のお伴をして俗に柘植黙で通ってる千家の茶人と、同気相求める三人の変物揃いで東海道を膝栗毛の気散じな旅をした。天龍まで来ると川留で、半分落ちた橋の上で座禅をしたのが椿岳の最後の奇の吐きじまいであった。 臨終は明治二十二年九月・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・電話というものは唯実験室内にのみ研究されていた。東海道の鉄道さえが未だ出来上らないで、鉄道反対の気焔が到る処の地方に盛んであった。 二十五年前には思想の中心は政治であった。文学が閑余の遊戯として見られていたばかりでなく、倫理も哲学も学者・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・そして誠忠奉公の公卿たちは鎌倉で審議するという名目の下に東海道の途次で殺されてしまった。かくて政権は確実に北条氏の掌中に帰し、天下一人のこれに抗議する者なく、四民もまたこれにならされて疑う者なき有様であった。後世の史家頼山陽のごときは、「北・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・の格をやって東海道を江戸へ来たものだそうです。そこで古風の人がタマに当今の人に其の御茶壺の話を仕て聞かせると、誰も噴飯して笑うので有りますが、当今の紳士の旅行の状態を見ると、余り贅沢過ぎて何の事は無い、つまり御茶壺になって歩いて居るのだ、と・・・ 幸田露伴 「旅行の今昔」
出典:青空文庫