八年まえの事でありました。当時、私は極めて懶惰な帝国大学生でありました。一夏を、東海道三島の宿で過したことがあります。五十円を故郷の姉から、これが最後だと言って、やっと送って戴き、私は学生鞄に着更の浴衣やらシャツやらを詰め・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・ 私の幼時に愛した木版の東海道五十三次道中双六では、ここが振りだしになっていて、幾人ものやっこのそれぞれ長い槍を持ってこの橋のうえを歩いている画が、のどかにかかれてあった。もとはこんなぐあいに繁華であったのであろうが、いまは、たいへんさ・・・ 太宰治 「葉」
・・・ 喧嘩次郎兵衛 むかし東海道三島の宿に、鹿間屋逸平という男がいた。曾祖父の代より酒の醸造をもって業としていた。酒はその醸造主のひとがらを映すものと言われている。鹿間屋の酒はあくまでも澄み、しかもなかなかに辛口であ・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・学生時代の冬休みに、東海道を往復するのに、ほとんどいつでも伊吹山付近で雪を見ない事はなかった。神戸東京間でこのへんに限って雪が深いのが私には不思議であった。現に雪の降っていない時でも伊吹山の上だけには雪雲が低くたれ下がって迷っている場合が多・・・ 寺田寅彦 「伊吹山の句について」
私が九つの秋であった、父上が役を御やめになって家族一同郷里の田舎へ引移る事になった。勿論その頃はまだ東海道鉄道は全通しておらず、どうしても横浜から神戸まで船に乗らねばならぬ。が、困った事には父上の外は揃いも揃うた船嫌いで海・・・ 寺田寅彦 「車」
・・・の類である。東海道を居眠りして来た乗客が品川で目をさまして「ははあ、はがなしという駅が新設になったのかなあ」と言ったのも同様である。 反対に、間違ったのを正しく読むのは校正の場合の大敵である。これを利用して似寄った名前の偽似商品を売るの・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・またもし「一週間内に東海道の大部分に降雨あるべし」との予報をなし得たりとせば、東京市民にとりては極めて漠然たる印象を与うべし。これ予報の範囲が東京市民の日常生活上雨に関して利害を感ずる範囲に比してあまりに大なるが故なり。しかれども連日雨に渇・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・われわれの家族は東海道見物かたがた人力のほうを選んで長い陸路の旅をつづけたのであった。第一夜は小田原の「本陣」で泊まったが、その夜の宿の浴場で九歳の子供の自分に驚異の目をみはらせるようなグロテスクな現象に出くわした。それは、全身にいろいろの・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・ それはとにかく、ある時東海道の汽車に乗ったら偶然梅ヶ谷と向かい合いの座席を占めた。からだの割合にかわいい手が目についた。みかんをむいて一袋ずつ口へ運び器用に袋の背筋をかみ破ってはきれいに汁を吸うて残りを捨てていた。すっかり感心して、そ・・・ 寺田寅彦 「相撲」
・・・たとえて言わば奥州街道から来るか東海道から来るか信越線から来るかもしれない敵の襲来に備えるために、ただ中央線の沿線だけに哨兵を置いてあるようなものである。 新聞記事によると、アメリカでは太平洋上に浮き飛行場を設けて横断飛行の足がかりにす・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
出典:青空文庫