・・・八畳の板の間には大きな焚火の炉が切ってあって、ここが台所と居間を兼ねた室である。その奥に真暗な四畳の寝間があった。その他には半坪の流し場があるきりで、押入も敷物もついてなかった。勾配のひどく急な茅屋根の天井裏には煤埃りが真黒く下って、柱も梁・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・ 見ればなるほど三畳敷の一間に名ばかりの板の間と、上がり口にようやく下駄を脱ぐだけの土間とがあるばかり、その三畳敷に寝床が二つ敷いてあって、豆ランプが板の間の箱の上に載せてある。その薄い光で一ツの寝床に寝ている弁公の親父の頭がおぼろに見・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・戸棚の隅や、汚れた板の間を拭いた。彼女はそうすることが何もつらくはなかった。のらくら遊ぶのは勿体ないから働きたいのだった。しかし、それを嫁にどう云っていゝか、田舎言葉が出るのを恐れて、たゞ「ヘエ/\」云っているばかりだった。「じゃ、これ・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・女は何時の間に笠を何処へ置いたろう、これに気付いた時は男は又ギョッとして、其のさかしいのに驚いた。板の間を過ぎた。女は一寸男の手を上げた。男は悟った。畳厚さだけ高くなるのだナと。それで躓くことなども無しに段々進んだ。物騒な代の富家大家は、家・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・炭素がその玻璃板の間から流れると、蝋燭の火は水を注ぎ掛けられたように消えた。 高瀬は戸口に立って眺めていた。 無邪気な学生等は学士の机の周囲に集って、口を開くやら眼を円くするやらした。学士がそのコップの中へ鳥か鼠を入れると直ぐに死ぬ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・いちど、嘉七がひとり、頭をたれて宿ちかくの草むらをふらふら歩きまわって、ふと宿の玄関のほうを見たら、うす暗い玄関の階段の下の板の間に、老妻が小さくぺたんと坐ったまま、ぼんやり嘉七の姿を眺めていて、それは嘉七の貴い秘密のひとつになった。老妻と・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・き、お客様のお茶をこぼしたとやらで、私を呼んだらしいのに、私はお勝手でばたばた七輪を煽いでいたので聞えず、返事をしなかったら、夫は、その時だけは、ものすごい顔をしてマサ子を抱いてお勝手へ来て、マサ子を板の間におろして、それから、殺気立った眼・・・ 太宰治 「おさん」
・・・ひきとめる節子をつきとばし、思慮を失った者の如く、あああと叫びながら父のアトリエに駈け込み、ぺたりと板の間に坐った。父の画伯は、画筆を捨てて立ち上った。「なんだ。」 母はどもりながらも電話の内容の一切を告げた。聞き終った父は、しゃが・・・ 太宰治 「花火」
・・・裏の炊事場の土間の片すみにこしらえた板の間に手機が一台置いてあった。母がそれに腰をかけて「ちゃんちゃんちゃきちゃん」というこれもまた四拍子の拍音を立てながら織っている姿がぼんやりした夢のような記憶に残ってはいるが、自分が少し大きくなってから・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・それは二枚の平面板の間に粘性あるいは糊状の液体を薄層としてはさんでおいて、急にその二枚の板を引き離すときにできるきれいな模様の中のあるものである。この模様の分岐のしかたにも一種の週期性がある。しかしこの場合においてもこの週期性の決定要素はな・・・ 寺田寅彦 「自然界の縞模様」
出典:青空文庫