・・・勿論、知合になったあとでは失礼ながら、件の大革鞄もその中の数の一つではあるが――一人、袴羽織で、山高を被ったのが仕切の板戸に突立っているのさえ出来ていた。 私とは、ちょうど正面、かの男と隣合った、そこへ、艶麗な女が一人腰を掛けたのである・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・…… 八 台所と、この上框とを隔ての板戸に、地方の習慣で、蘆の簾の掛ったのが、破れる、断れる、その上、手の届かぬ何年かの煤がたまって、相馬内裏の古御所めく。 その蔭に、遠い灯のちらりとするのを背後にして、お納・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
一「小使、小ウ使。」 程もあらせず、……廊下を急いで、もっとも授業中の遠慮、静に教員控所の板戸の前へ敷居越に髯面……というが頤頬などに貯えたわけではない。不精で剃刀を当てないから、むじゃむじゃとして・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・――衝と露台へ出る、この片隅に二枚つづきの硝子を嵌めた板戸があって、青い幕が垂れている。晩方の心覚えには、すぐその向うが、おなじ、ここよりは広い露台で、座敷の障子が二三枚覗かれた――と思う。……そのまま忍寄って、密とその幕を引なぐりに絞ると・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・晩に見た心覚えでは、この間に、板戸があって、一枚開いていたように思ったんだが、それが影もなかった。思いちがいなんだろう。 山霧の冷いのが――すぐ外は崖の森だし――窓から、隙間から、立て籠むと見えて、薄い靄のようなものが、敷居に立って、そ・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・街道を突っ切って韮、辣薤、葱畑を、さっさっと、化けものを見届けるのじゃ、静かにということで、婆が出て来ました納戸口から入って、中土間へ忍んで、指さされるなりに、板戸の節穴から覗きますとな、――何と、六枚折の屏風の裡に、枕を並べて、と申すのが・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ と、厠の板戸を、内から細目に、小春の姿が消えそうに、「私、つい、つい、うっかりして、あのお恥かしくって泣くんですわ……ここには水がありません。」「そうか。」 と教授が我が手で、その戸を開けてやりつつ、「こっちへお出で、・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ すると、どうでございましょう、鼻ッ先の板戸が音もしないで、すらりと開く。「騒々しいじゃないかね。」 顔を出したのが、鼻の尖った、目の鋭い、可恐しく丈の高い、蒼い色の衣服を着た。凄い年増。一目見ても見紛う処はない、お雪が話したそ・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・数年前アメリカの気象学雑誌に出ていた一例によると、麦わらの茎が大旋風に吹きつけられて堅い板戸に突きささって、ちょうど矢の立ったようになったのが写真で示されていた。麦わらが板戸に穿入するくらいなら、竹片が人間の肉を破ってもたいして不都・・・ 寺田寅彦 「化け物の進化」
・・・通りに面している店と云う店はことごとく表戸をしめている。板戸に錠前をかけ、あるところでは鉄扉がおろされている。 広場の中心へ行くと、やっと、行列らしいものがあった。往来でもみかけたようなレイン・コートの一隊が広場をグルリと列で取り巻き、・・・ 宮本百合子 「ワルシャワのメーデー」
出典:青空文庫