文政四年の師走である。加賀の宰相治修の家来に知行六百石の馬廻り役を勤める細井三右衛門と云う侍は相役衣笠太兵衛の次男数馬と云う若者を打ち果した。それも果し合いをしたのではない。ある夜の戌の上刻頃、数馬は南の馬場の下に、謡の会・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・チャンバラの果たし合いでも安芝居の立ち回りの引き写しで、ほんとうの命のやりとりらしいものはどこにも求められない。時局あて込みの幕末ものの字幕のイデオロギーなどは実に冷や汗をかかせるものである。現代の大衆はもう少しひらけているはずであると思う・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・精神的にこれとよく似た果たし合いは人間の世界にもしばしばあるが、不思議なことにはこういう種類の決闘は法律で禁じられていない。 亀と王蛇とが行き会ってもお互いに知らん顔をしている。蛇にとっては亀は石ころと同様であり、亀にとっては蛇は動く棒・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・たとえ興行者のほうでは芝居のつもりであったとしても、動物のほうでは芝居気などは少しもない正真正銘の命がけの果たし合いだからである。 ジャングルの住民は虎でも蛇でもなんでもみんな生きるために生まれて来ているはずである。ところが、それが生き・・・ 寺田寅彦 「映画「マルガ」に現われた動物の闘争」
・・・ということで、その答を日限までに持って来なければ果し合いをするという条件であった。ガラハートは当惑してあちらこちらと彷徨った。女が一番欲しいというのは何であろう。大金持の夫であろうか。それとも無類に美しい容貌の夫であろうか。或はやさしく真実・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫