・・・ただ道は最も奥で、山は就中深いが、栃木峠から中の河内は越せそうである。それには一週間ばかり以来、郵便物が通ずると言うのを聞くさえ、雁の初だよりで、古の名将、また英雄が、涙に、誉に、屍を埋め、名を残した、あの、山また山、また山の山路を、重る峠・・・ 泉鏡花 「栃の実」
十一月十五日栃木県氏家在狭間田に開かれたる聖書研究会に於て述べし講演の草稿。 聖書は来世の希望と恐怖とを背景として読まなければ了解らない、聖書を単に道徳の書と見て其言辞は意味を為さない、聖書は旧約と新約とに分れて神・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・終戦になって、何が何やら、ただへとへとに疲れて、誇張した言い方をするなら、ほとんど這うようにして栃木県の生家にたどりつき、それから三箇月間も、父母の膝下でただぼんやり癈人みたいな生活をして、そのうちに東京の、学生時代からの文学の友だちで、柳・・・ 太宰治 「女類」
・・・ 江口さんは栃木県で立候補した。新しくなろうとして熱心な村の人々にとって、根気よい産婆役をしているのであった。「しかしね、モラトリアムでいくらかいいかもしれないよ。――この間うちの相場は、二百円だった」「一票が、かい?」「あ・・・ 宮本百合子 「一刻」
・・・ その頃、前科五犯という女賊が入っていて、自分は栃木刑務所、市ケ谷刑務所の内の有様をいろいろ訊いた。栃木の前、その女は市ケ谷に雑役をやらされていて、同志丹野せつその他の前衛婦人を知っているのであった。 市ケ谷の刑事既決女囚は、昔・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ 木の切り株 栃木県の矢板のステーションのすぐそばの杉林の一部が思い切り長く切りはらわれて居た。 田か畑にするらしい。 まだ新らしい生々とした香りの高そうな木の切り株が短かい枯草の中から頭を出して居る。何でも・・・ 宮本百合子 「旅へ出て」
・・・ 本名勇造、山本有三は一八八七年、明治二十年に、栃木町に生れた。父は宇都宮の藩士であったが、維新後裁判所の書記を勤め、勇造が生れた時分は小さな呉服商を営んでいた。生れつき弱い赤坊であったことが書かれているが、兄妹について一筆も触れられて・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
出典:青空文庫