・・・けれどもお前はじめ五人の子を持ってみると、親の心は奇妙なもので先の先まで案じられてならんのだ。……それにお前は、俺しのしつけが悪かったとでもいうのか、生まれつきなのか、お前の今言った理想屋で、てんで俗世間のことには無頓着だからな。たとえばお・・・ 有島武郎 「親子」
・・・医師は昏睡が来る度毎に何か非常の手段を用いようかと案じているらしかった。 昼過きになると戸外の吹雪は段々鎮まっていって、濃い雪雲から漏れる薄日の光が、窓にたまった雪に来てそっと戯れるまでになった。然し産室の中の人々にはますます重い不安の・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・最愛最惜の夫人の、消息の遅さを案じて、急心に草を攀じた欣七郎は、歓喜天の御堂より先に、たとえば孤屋の縁外の欠けた手水鉢に、ぐったりと頤をつけて、朽木の台にひざまずいて縋った、青ざめた幽霊を見た。 横ざまに、杖で、敲き払った。が、人気勢の・・・ 泉鏡花 「怨霊借用」
・・・嘴を引傾げて、ことんことんと案じてみれば、われらは、これ、余り性の善い夥間でないな。一の烏 いや、悪い事は少しもない。人間から言わせれば、善いとも悪いとも言おうがままだ。俺はただ屋の棟で、例の夕飯を稼いでいたのだ。処で艶麗な、奥方とか、・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・それでも同情を持って来てくれた人たちであるから、案じたほどでなく、続いて来る様子に自分も安心して先頭を務めた。半数十頭を回向院の庭へ揃えた時はあたかも九時であった。負傷した人もできた。一回に恐れて逃げた人もできた。今一回は実に難事となった。・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・娘は、うす暗い家のうちで、赤ん坊の守りをしながら、先刻、前を通ったやさしい少女は、いまごろどうしたろうと思って、その身の上を案じていたのです。しかし、この夜から、お母さんの病気は、だんだんいいほうに向かいました。 いつのまにか、冬がきて・・・ 小川未明 「海からきた使い」
・・・内気の娘は、その後も、浜辺にきて、じっと沖の方をながめて、いまだに帰ってこない、若者の身の上を案じていました。しかし、何人も、彼女の苦しい胸のうちを知るものがなかったのです。北国の三月は、まだ雪や、あられが降って、雲行きが険しかったのであり・・・ 小川未明 「海のまぼろし」
・・・「なるほど、違えねえ、新さんが案じてるだろう」「癪をお言いでないよ! だが、全くのことがね、この節内のは体が悪くて寝てるものだからね」「そうか、そいつはいけねえな」 二 永代橋傍の清住町というちょっとした・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ いろいろ思い案じたあげく、今のうちにお君と結婚すれば、たとえ姙娠しているにしてもかまわないわけだと、気がつき、ほっとした。なぜこのことにもっと早く気がつかなかったか、間抜けめとみずから嘲った。けれども、結婚は少くとも校長級の家の娘とす・・・ 織田作之助 「雨」
・・・これから大阪へ帰っても、果して妻や子は無事に迎えてくれるだろうかと、消息の絶えている妻子のことを案じているせいかも知れなかった。 そう思うと、白崎の眉はふと曇ったが、やがてまた彼女と語っている内に、何か晴々とした表情になって来た。 ・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
出典:青空文庫