・・・十六夜清心が身をなげた時にも、源之丞が鳥追姿のおこよを見そめた時にも、あるいはまた、鋳掛屋松五郎が蝙蝠の飛びかう夏の夕ぐれに、天秤をにないながら両国の橋を通った時にも、大川は今のごとく、船宿の桟橋に、岸の青蘆に、猪牙船の船腹にものういささや・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・………… * * * * * 大正十年五月十六日の午後四時頃、僕の乗っていた江丸は長沙の桟橋へ横着けになった。 僕はその何分か前に甲板の欄干へ凭りかかったまま、だんだん左舷へ迫って来る湖南の府城を眺めていた。高い曇天・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・どうも、昔、森さんの「桟橋」とかいうもので読んだほど、小説らしくもなんともない。 麦わら帽子をかぶって、茶の背広を着た君は、扇を持って、こっちをながめていた。それも至極通俗なながめ方である。学校から帰りに、神田をいっしょに散歩して、須田・・・ 芥川竜之介 「出帆」
・・・ 路地口の石壇を飛上り、雲の峰が立った空へ、桟橋のような、妻恋坂の土に突立った、この時ばかり、なぜか超然として――博徒なかまの小僧でない。――ひとり気が昂ると一所に、足をなぐように、腰をついて倒れました。」 天地震動、瓦落ち、石・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ 雪がそのままの待女郎になって、手を取って導くようで、まんじ巴の中空を渡る橋は、さながらに玉の桟橋かと思われました。 人間は増長します。――積雪のために汽車が留って難儀をすると言えば――旅籠は取らないで、すぐにお米さんの許へ、そうだ・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・ この、筆者の友、境賛吉は、実は蔦かずら木曾の桟橋、寝覚の床などを見物のつもりで、上松までの切符を持っていた。霜月の半ばであった。「……しかも、その(蕎麦二膳には不思議な縁がありましたよ……」 と、境が話した。 昨夜は松本で・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・小さな桟橋、桟橋とは言えないのが磯にできている。船をそれに着けてわれらみんな上陸した。 たった一軒の漁師の家がある、しかし一軒が普通の漁師の五軒ぶりもある家でわれら一組が山賊風でどさどさ入っていくとかねて通知してあったことと見え、六十ば・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・次の日のまだ登らないうち立野を立って、かねての願いで、阿蘇山の白煙を目がけて霜を踏み桟橋を渡り、路を間違えたりしてようやく日中時分に絶頂近くまで登り、噴火口に達したのは一時過ぎでもあッただろうか。熊本地方は温暖であるがうえに、風のないよく晴・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・大通の説くがごとくんば女は端からころりころり日の下開山の栄号をかたじけのうせんこと死者の首を斬るよりも易しと鯤、鵬となる大願発起痴話熱燗に骨も肉も爛れたる俊雄は相手待つ間歌川の二階からふと瞰下した隣の桟橋に歳十八ばかりの細そりとしたるが矢飛・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・そこの廊下でおげんが見つけるものは、壁でも、柱でも、桟橋でも、皆覚えのあるものばかりであった。「ここは何処だらず。一体、俺は何処へ来ているのだずら」「小山さんも覚えが悪い。ここは根岸の病院じゃありませんか。あなたが一度いらしったとこ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
出典:青空文庫